3つの地方による同盟が国の母体に
スイス国旗の正式な縦横比率は1:1。つまり正方形の旗なのです(別画像参照)。なお、国旗の縦横比率を、記事の最初に掲げた画像のように2:3にすると、外洋船舶旗となります。比率を変えることで、用途が変わる旗もあるんです。
スイス国旗の赤は「主権」、白は「キリスト教精神」を表しています。そして、白い十字の一辺の腕の長さは、その先端の幅より6分の1長いことが決められています。
それでは、このスイスの旗の移り変わりを、国の成り立ちに沿って見ていきましょう。
スイスは11世紀に神聖ローマ帝国の領土となり、13世紀末にはシュヴィーツとウーリ、ウンターヴァルデンの3つの地域が、ハプスブルク家に対抗するために誓約同盟を結びました。この同盟が、現在のスイス連邦の母体となります。なお、スイスという国名は、同盟の中心となったシュヴィーツがもとになっています。
このときつくられた3地域の誓約同盟旗は、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世がシュヴィーツに与えた旗に由来し、左肩に小さく白い十字が描かれた赤い正方形の旗でした。
1339年にはこの旗のデザインが変更され、左肩にあった小さな白い十字が中央に大きく描かれます(別画像参照)。現在のスイス国旗によく似ていますが、デンマークの旗のように白い十字が上下左右ともに旗の端まで長く伸びている点が大きなちがいでした。
200年以上も前からの「永世中立国」
スイスは、宗教改革がきっかけになってヨーロッパ全体に広がった三十年戦争(1618~48年)で、国外の争いについては中立の立場を取り、戦争を終わらせるためのウェストフェリア条約で、神聖ローマ帝国からの独立が認められます。
ところが、フランス革命後の1798年、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がスイスに侵攻し、フランス寄りのヘルベチア共和国が成立します。新しく定められたヘルベチア共和国の旗は、「緑・赤・黄」の横三色旗の中央に黄色い字でフランス語の国名が記されたデザインで、従来の「赤地に白い十字」の旗とはまったく趣が異なるものでした。
しかし、この三色旗が使用されたのは、わずか数年のことでした。1803年には19州によるスイス連邦が成立し、それとともに国旗は1339年制定の同盟旗に戻されたのです。
1815年、ウィーン会議でスイスが「永世中立国」として承認され、1848年、現在の国旗が制定されました。
その後、スイスは第1次世界大戦、第2次世界大戦ともに中立を守りました。戦後は赤十字国際委員会本部をはじめ、国際連合の事務局やIOC(国際オリンピック委員会)本部など、多くの国際機関がスイスに置かれています。
スイス国旗と赤十字の旗の関係
白地に赤い十字を配した赤十字の旗は、戦争や災害などにおける人道的活動のシンボルとして知られています。国際法では、紛争地域などで赤十字を掲げる人や施設などには絶対に攻撃を加えてはならないと定められています。
実は、この赤十字旗は、創設者のアンリ・デュナンと彼の祖国スイスに敬意を表して、スイス国旗の配色を反転させたものなのです。
赤十字には宗教色はないとされていますが、スイス国旗の十字は、もとはといえばキリスト教のシンボルである十字架を図案化したものです。露土戦争(ロシア・トルコ戦争、1877~78年)では、オスマン帝国(トルコ)がキリスト教を連想させる赤十字の十字マークをイスラム教のシンボルともいえる新月(三日月)に替えた「赤新月」を使い、十字に抵抗がある他の多くのイスラム諸国もこれに賛同しました。
こうした動きの中で、現在では、赤十字・赤新月に加えて、宗教色とは無縁な第3のマークとして「レッド・クリスタル(赤水晶)」と呼ばれる赤いひし形マーク(別画像参照)も承認されています。
この記事の出典:
苅安望[監修]『国旗のまちがいさがし』
クロスメディア・パブリッシング