親元を離れ大人として独り立ちすると、実家の親との関わりも、お盆と正月に顔を会わせるくらいという人も多いのではないでしょうか。たまにかかって来る電話攻撃にも「仕事だから」と軽く受け流し、それぞれが「親離れ」「子離れ」を果たして、適度な距離感を持って自分達の日々の生活を過ごしていく日常が普通になります。

ですが、その距離感が変化するタイミングがあります、それは母親になった時。実母にとっては孫が誕生した時が、大きな節目となるのではないでしょうか。実母にとっては可愛い孫であり、母親としても遠い昔の経験から、何かと手も口も出すことがあるでしょう。そして、それは子どものイベントになると特に表れてきやすいものです。

今回は、そんな子どものイベントとして「七五三」を取り上げてみました。七五三に関する実母とのエピソードをご紹介します。

七五三の基礎知識

七五三(しちごさん)とは、節目となる年に子どもの成長を祝い、これからの健康を願って行われる、日本の伝統的な行事です。男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳に行います。最近では、男の子は5歳のみお祝いするご家庭も増えています。

七五三の始まりは、古くは室町時代から。この時代は乳幼児の死亡率が大変高く、氏家台帳(現在の戸籍)への登録を、生後3年または4年経ってから行うことが一般的でした。この時に始まった成長を祝うお祝いが、七五三の始まりとなっています。

七五三を祝うのは満年齢か?数え年か?

「七五三のお祝いをしたいけど、満年齢でやった方がいいの?それとも数え年?!」このように迷うママは多いものです。七五三発祥の頃、日本での年齢の数え方はお正月が来たらみんな1歳年を重ねました。同じ年に産まれたなら、2月生まれも12月生まれも、翌年のお正月を迎えたらみんな1歳です。この様な流れから、以前は数え年で七五三のお祝いが行われていましたが、現在は満年齢が年の数え方として主流ですので、七五三も満年齢で行うご家庭が多いでしょう。

実母との七五三エピソード

それでは続いては、実母を交えた七五三にまつわるエピソードをご紹介します。

実の母だからこそ遠慮が無くて…

「1人娘の私に子どもが産まれて、母はとても喜んでくれました。それ自体は私にとっても本当に嬉しかったのですが、その後の子どものイベントに関する準備は何かと母が先回りして進めてしまうので、困っています。

七五三の準備もその1つ。私は私なりに考えて、いろいろと準備してあげたいと思っていたのですが、着物から当日の美容院、そして記念写真を撮る写真館まで決められてしまいました。『娘の七五三だから、まず親である私が考えてあげたい』と伝えていたのですが、母からは事後報告ばかりで、結局は事前に相談されることは無く、あれもこれもと進められてしまいました。私が日中働いているため、母からすれば相談する暇も無いし、準備もなかなか進まない…と思った上での行動だと言います。

義実家はお祝いの食事会に参加して、その際にお祝いを包んで夫に渡してくれました。私としてはそれくらいの距離感がありがたかったです。実母であるがため遠慮が無いのか、好意でやってくれているだろうということにも、押し付けと感じてうんざりしてしまいます。」

私がやることにダメ出しばかり

「幼いころから、私がやること成すこと、ダメ出しばかりの母。その傾向は私が大人になっても変わっていません。息子の七五三の時でした。下の子(1歳)を連れていることもあり、私は動きやすさを考えてワンピースを着用しました。自分なりに考えて、けっして派手にならないようにお祝いの席に相応しいシックなワンピースを選んだつもりです。そんな私の姿を見た母は『なぜ和装ではないのか』と言ってきました。

たしかに母からは、七五三の前に帯も含めて訪問着を渡されていました。『下の子もいるから着物で1日過ごすのは難しい』と断ったのですが、そのまま着物は自宅に置いていきました。当日は参拝する神社で集合したのですが、私の姿を見るなり『せっかく記念写真を撮るのに』『息子の節目に正装じゃないなんて』とダメ出しの嵐。主人のご両親と合流してからは、母の私に対する直接的な言葉は減りましたが、すでに私は精神的にグッタリです。母にとって私は、七五三の時から成長していないのかな……と、思ってしまいました。」

お互い程よい距離感が大事