一方で、筆者の知人で、結婚して20年近く経ってもずっと恋人同士のようなカップルもいます。家庭の外から見える2人と家庭の中の2人にはきっとギャップがあるのでしょうが、やっぱりちょっとしたミラクルに思えます。
彼・彼女を見ていると、たとえば、外出先でおいしい食べ物に出会ったとき真っ先に「相手にも食べさせてあげたい」とパートナーの顔を思い浮かべたり、育児や仕事に疲れたらリフレッシュの時間をゆずり合ったり、お互いの親族や知人を大事にしています。「与える」ことに喜びを覚えつつ、「与えられている」ことに敏感に気づいています。しかも、お互いに。
これらはシンプルでありながら、なかなかできることではありません。
どちらか一方が与え続けるだけでは、「愛情や労力やお金を搾取されている」という被害者意識が生じやすくなります。その逆に「与える」喜びと「与えられている」ことの感謝のバランスが取れている夫婦は、相手の喜びを吸収することができる分、2人の絆と幸福度が強い傾向があるように感じます。
とはいえ、どんなに理想的に見える夫婦であっても、その関係性を他人が完全コピーすることはできませんし、順調に見える2人のバランスだって何かのきっかけで崩れてしまう日がやってこないとは限りません。
子どもを授かり子育てに悩む。あるいは、子どもが欲しい・欲しくないで意見の相違が生じる。経済的に困窮する。仕事が曲がり角を迎えて心が疲れていることを理解してもらえない。親の介護に悩む。
こんな風に夫婦を乗せた「家庭」という船は、凪があれば、予想外の大荒れに見舞われることもあります。状況の変化に応じてその都度、船を設計し直し、メンテナンスしていかなければなりません。その共同作業はときに苦しく、つらさを相手のせいにしたくなることもあるかもしれません。
おわりに
「結婚の日常は一粒の砂金集め。短期の恋愛や浮気はきらびやかなガラス玉。地味な砂金集めなんてバカバカしいから、ガラス玉の美しさに吸い寄せられる気持ちはわからないでもない」
結婚して長く経つある女性は以前、こう語っていました。
深く関わり合って理解し合ったからこそ得られる居心地の良さは、結婚という打ち出の小づちを振って出てくるわけではなく、どちらか一方の忍耐の上に成り立つものでもなく、2人の小さな努力の積み重ねでできるもの。
2人の共同作業がうまくいけば、世界一の味方、茶飲み友達、恋人、心地の良い空間が一気に手に入る可能性もあるのが結婚。
一方で「幸せになりたい」「親を安心させたい」「心の癒しが欲しい」「つらい仕事から逃げたい」という悩みの解決策として結婚を選ぶのなら、その先の道のりにはひと波乱が待っているかもしれません。
北川 和子