しかし、これまでの人生で規範に反発することだけが自分らしさの正解だとしてきた筆者にとって、子育てはそうした“らしさ”の規範を新たな側面で捉えることができるきっかけになりました。
子育ては常に正解のない瞬間との戦い。一般的に良しとされる方法だけではなく、自分なりのやり方で「自分らしい子育て」をしていかなくてはいけなくなります。
この「自分らしい子育て」というものが、さっぱりわからない。もう一度言いますが、子育てには正解がありません。「自分らしい子育て」以前に、「自分らしくない子育て」が何かもわからないし、そもそも子育てって何?というパラレルワールド状態。ただ単に、規範から脱却すればそれでいい、という単純なものではなかったのです。
そんな折、いったんはどっぷり漬かっていた母らしさ規範の中から、自分らしさが生まれていくことに気付きます。
「子どもにテレビを全く見せないというやり方は、自分がストレスになるから合わない」「誰かに押し付けられる母親らしさは、自分を否定されているように感じるから嫌だ」と、なぜ一般的な規範に反発するのか、その上で自分はどうしていきたいのか、という明確な理由や指針を持てるようになっていきました。
一方で、規範にもたれかかることで答えの出ないモヤモヤから救われることも。筆者は、自分がどんな母親になれば子どもにとっていいことなのか、しばしば悩んでしまいます。
そんな時、世間的に良しとされる「良い母親像」規範から「子どもに愛情をしっかり注ぐ」「子どもを受け入れる」など、シンプルで抽象的な答えを抽出してみると、「これでいいんだよね」と自分の子育てに自信が持て、スッと心が晴れるようになりました。これもまた、自分らしい子育てに対する捉え方だと感じます。
自分らしさは、規範から生み出されることもある
現代は、生き方や働き方、子育てなど、あらゆる場面で個性やその人らしさが重要視されます。自分の個性とは何か。きっとまだ自分も知らない本当の自分がどこかにいる。そう信じて旅をして、見つけられる人もいれば見つけられない人もいるでしょう。また、旅をしなくても、見つけられる人もいれば見つけられない人もいるはず。
そんな探したい自分が見つからない時、性別や立場によるわかりやすい「らしさ」や規範に一度は少し寄りかかってみても、決して悪くはないと思うのです。
筆者の場合の自分らしさとは、「こうあるべき」という規範に疑問を抱き、反発したり、一方で時にはその規範にもたれてみたりしながら生み出されていくものでした。そうやってすでに存在する規範から、自分なりの規範を作っていくことができたら、それで自分探しは十分なのではないでしょうか。
秋山 悠紀