これが世に言う「母親の勘」というものだろうと、急いでかかりつけの病院へ。最悪な事態を想像し、心臓はバクバク、半泣き状態でした。

そして診てもらったところ、どこにも問題はなく、「胃が弱っていただけだろう」というあっさりとした診断結果。吐き気止めを処方され、あっけなく帰宅することとなりました。

筆者の「母親の勘」は全く当たらなかったのです。息子の体調に問題がなかったことの安堵とともに、自分に「母親の勘」がなかったことにショックを受けました。生まれてからずっと、ほとんどワンオペ状態で子育てをしてきたのに。

もちろん、母親が子どものことをすべて把握できるわけもなく、母親の勘がすべて当たるわけがないことはわかっています。ましてや体調の悪さは医学的な専門知識を要します。しかし、世に言う「母親の勘」を持っていない自分は母親失格なのではないか、多くの人が信じている「母親の勘」って一体なんなのだろうという思いがぐるぐると頭を巡ってしまいました。

子どもの命すべての責任が母親一人にのしかかっている不安感

一方で、子どもの体調が悪い時に「様子を見ていれば大丈夫だろう」と思っていたら、もっと重症化してしまった例も少なくないでしょう。そんな時、きっと母親は「私が見ていながら…」「もっと早く異変に気付いてあげれば」と強く自分を責めてしまうはずです。

「母親の勘」とは、子育てのほとんどを母親が担っているからこそ生まれる考え方とも言えます。子どもの命が、自分だけの勘や判断、行動にかかっているという不安や緊張感は言葉では言い表せません。24時間365日の子育てにおいて、その不安は子どもが大きくなるまで休みなく母親にのしかかっています。

父親の子育て参加がよく話題に上るようになっています。その”子育て参加”とは、たまにミルクをあげたりオムツを替えたりすることではなく、一緒に子どもの日々の様子を確認し、機微を感じ取ってあげることだと思います。

子どもの具合に関して、母親が自分の勘が当たらなかったことや勘を頼りにしなかったことで苦しんだり自分自身を責めたりすることがなくなることが、これからの子育て社会において大事なことなのではないでしょうか。

秋山 悠紀