鯉を崇めるという行為は、性格になんの関係もありませんが、その人がそこで生まれたという大切な証です。地域社会や親ができなくなった代わりとして、本来、学校が担うべき人格形成は、その国、その地域での文化伝統を意識して、受け継いでゆくことではないでしょうか。

日本人として、「日本人らしさ」を意識することが、個々の人格を作る重要な支えになってゆきます。

知識の習得だけでいいなら現状の学校は不要

社会が進化してゆくために必要な知識を習得するだけなら、オンライン学習にデメリットなどないように感じます。

発達の過程には個人差があります。小学校のころ、動作や反応がのろくて、同級生に馬鹿にされていた人がクラスにいたという記憶の方もいるのではないでしょうか。

しかし、時間がたち高校になって偶然に出会うと、まったくの別人になっているなんてことはよくあります。身長差は、目に見えるその典型でしょう。

1人の先生が何十人もの生徒を相手にして、同じ内容の授業を行うのですから、当然、発達の違いによって、差が出てしまいます。このことは、発達が進んでいる子供の学習機会を奪い、遅れている子供を委縮させています。先生の能力差によって生じる、授業の不公平感もなくなります。