外国人を雇う企業は、外国人の居住により必要となる行政コストを負担すべきだ、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は主張します。
そもそも外国人の単純労働者を受け入れるべきではない
筆者は外国人の単純労働者の受け入れに反対です。「労働力不足」というのは経営者目線の言葉であって、労働者からすれば賃上げが期待できる素晴らしい状態なのです。「仕事潤沢」とでも呼びたい気持ちです(笑)。
外国人労働者を受け入れてしまうと、せっかく日本人労働者が期待していた賃上げが遠のいてしまいますし、次の不況の時に失業するリスクも高まります。
日本経済にとっても、悪い影響があります。せっかく企業が労働力不足を背景に省力化投資を始めたので、日本経済が効率化すると期待していたのに、その流れが止まってしまうからです。
今ひとつ、失業増を恐れて増税が困難になったり、次の不況期に失業対策の公共投資が必要になったりして、財政赤字が増えるかもしれません。
つまり、外国人の単純労働者を受け入れることは、受け入れ企業にはメリットがある一方で、日本人労働者や日本経済などにデメリットをもたらすのです。
コストは受益者負担が当然
一方で、外国人労働者が日本で暮らしていくためには、様々な行政サービスが必要です。たとえば政府は「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策」を策定して予算を計上しています 。
それ以外にも、外国人の単純労働者は一般的な行政サービスを日本人と同じように受けるわけですが、彼らは(日本人の単純労働者と同じ待遇だとすれば)所得が低いために納税額が少なく、行政の「持ち出し」になると思われます。
そうしたコストは、当然に受益者である雇用主が負担すべきです。今のままでは、外国人受け入れの「被害者」である日本人労働者が支払った税金でコストが賄われることになります。これは著しい不公平です。
受益者が負担しないと資源配分が歪む
経済学の最も基本的な考え方は、日本経済が使える労働力や資金等々には限りがあるから、それを最も望ましい目的で使うべきであり、それを実現するのが「神の見えざる手」である、というものです。
その際、何の生産に労働力と資金をどれくらい使うのかを「資源配分」と呼びます。そして、受益者にコストを負担させないと、望ましい資源配分が実現しないのです。
たとえば、企業が外国人の単純労働者を雇うことで利益が1円稼げたとします。同時に、その外国人のために行政コストが100円かかっているとします。差し引きすると、日本経済全体としては損をしているわけで、その労働者を雇って行われた生産活動は最適な資源配分を邪魔したことになります。
もしも、行政コストを雇い主が負担する仕組みになっているとすれば、企業は外国人の単純労働者を雇うことはないでしょうから、最適な資源配分が邪魔されることもないはずです。
では、仮に企業が200円稼いだら、どうでしょうか。外国人を受け入れた企業が200円稼ぎ、行政コストを100円負担しても利益が100円残るなら、その外国人は受け入れるべきでしょうか。
筆者としては、行政コストだけではなく、日本人労働者が被る不利益の分も上乗せして雇い主に負担させるべきだと考えていますが、それについては議論があるでしょうね。まあ、筆者も企業が外国人を雇うことで巨額の利益を稼いで巨額の税金を支払うのであれば、外国人の受け入れに反対するものではありませんが。