ルイス・フロイスは戦国時代の日本を訪れたイエズス会の宣教師です。

高校日本史でその名を知った方も多いのではないでしょうか?

織田信長とは計十八回も会見しており、豊臣秀吉などその他の戦国武将とも面識を持ちました。

ルイス・フロイスはその著書『日本史』(ポルトガル語: Historia de Japam)のなかで織田信長と明智光秀について詳細に論じています。

本記事ではその内容をご紹介するとともに、統計資料をもとに現代の外国人が日本をどのように見ているのかについてもお伝えします。

1. ルイス・フロイスがみた織田信長と明智光秀

織田信長ともたびたび面会したことで知られるルイス・フロイス。

彼が執筆した『日本史』には織田信長と明智光秀の人物像が事細かに描写されています。

ルイス・フロイスは織田信長を「尊大にして野心的、正義において厳格な人物」と評しています。

また、戦術に長けた頭脳優秀な人物とも見ていたようです。

極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。(略)戦術にきわめて老練で、自らの見解に尊大であった。

ルイス・フロイス著 松田毅一、川崎桃太訳「完訳フロイス日本史2」中公文庫 2000年

そんなフロイスが有能とみる織田信長はなぜ明智光秀に殺されたのでしょうか?

日本史最大のミステリーを探る1つの鍵がフロイスの明智に対する評価でしょう。

彼は明智光秀に対して以下のような人物評をくだしています。

その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり(略)。彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己れを偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。(略)絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり(略)。

他にも優れた建築能力などが高く評価されていた明智光秀は、一方で、裏切りや密会を好み、演技と忍耐力に優れているなど、信用ならない人物として描かれています。

また、信長に気に入られるための徹底したリサーチと贈り物を欠かさないマメな人物でもあったようです。

これだけの記述をみれば、裏切り体質の明智光秀が信長をだまし、最後にはなるべくして敵となったことが伺えますね。

ただし、これはあくまでフロイスの主観からみた明智光秀という人物の姿。

どこまで信用できるかは眉唾ですが、同時代人から見た明智光秀は典型的な「面従腹背」を人生訓とする人物に見えていたというのは興味深いですね。

ちなみに織田信長の光秀への寵愛ぶりはフロイス自身も不思議に思うほどであったそうです。