本件以外にも、災難を防いだ人は評価されず、災難から救い出した人が評価される、という例は少なくありません。

古来から、攻めてきた敵を撃退した将軍は英雄とされて来ましたが、外交努力や策略等々で敵が攻めて来れないようにした功労者は、総じて目立たない存在だったわけです。国にとっては、戦わずに済んだことで戦費もかからず兵の負担も少ないわけですから、後者の方が大きく評価されて良いはずなのですが。

外交とか策略といったものは秘密に行う場合が多いでしょうから、功労者が存在したのか、それが誰であったのか、といった情報自体が知られずに終わる場合も多いでしょう。

そうした場合は仕方ありませんが、そうでない場合には、しっかり感謝すべき人には感謝すべきだと思います。たとえば、警察官がパトロールしているから泥棒が犯行を諦めたという場合、警察官のパトロールのおかげで犯罪件数が減ったということは人々に知られるべきでしょう。

泥棒が諦めた家の人は、まさか自宅が狙われていたとは知らないので警察官に感謝しないでしょうが、それは仕方ないこととして、世の中の治安が良くなったことはしっかり認識すべきでしょう。

それは、警察官の士気にもかかわりますが、それ以上に来年度以降の予算配分に関して警察官のパトロールの予算をしっかり確保することにも繋がるからです。必要な予算が、必要性を認識されずに削減されてしまっては悲しいですから。

難しいのは因果関係の認定

台風19号に際して堤防等が役に立ったということは、狩野川台風との比較をすれば、比較的容易に示すことができるでしょうが、一般には因果関係を認定することは容易ではありません。

戦争回避に関しては、「外交や策略が無くても外国は攻めて来なかったはずだ」という可能性もありますので、担当者が功労者だったのか否かさえも定かでない場合もあるでしょう。

警察官のパトロールに関しては、「パトロールがなければ犯罪が増えていたはずだ」ということは言えそうですが、「テロ対策のおかげでテロが起きなかった」と証明するのは容易ではありません。

「テロ対策はやりすぎだ。あそこまで厳しく荷物チェックをしなくてもテロは起きないはずだ」という意見もあり得るからです。

そうであっても、「備えあれば憂いなし」と言いますから、備えている人々のことを好意的に報道する方が、報道しないよりも、あるいは批判的に報道するよりも、人々の安全は守られるはずです。

視点を変えて、マスコミが報道しないとしても、我々は「マスコミは報道しないけれども、洪水や泥棒やテロを防いでくれている人がいることは常に認識し、感謝する」ように心がけたいものです。

本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。

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塚崎 公義