我が子のしつけの際、親としては「正しいことをしている」という思いが強いため、多少きついことをしている自覚はあっても、後々に我が子のためになると信じてその姿勢を貫いてしまいます。しかし、正しいからといって相手の気持ちに配慮できていない言葉は、相手をただ傷つけるだけでその真意を伝えられてはいません。

子どもはただただ悲しい気持ちのみが記憶に残り、恨みさえ残ってしまうこともあるでしょう。正しいことを優先する根底には、論理的であることは感情より勝っているという思いが隠れています。しかし、人間は感情に左右される生き物です。理性と感情がうまく作用しあうからこそ、理性も正常に作用するのではないでしょうか。

まとめ

子どもを自分の分身であるかのごとく思ってしまうあまり、期待や理想を押し付けすぎてしまう教育虐待や過度なしつけ。その現実は、「子どものため」といいながら「自分のため」になっていることが少なくありません。親からしたら正しいことでも正しさは人によって違うことを、白熱するあまり忘れてしまいがちです。

そうならないためには、子どもは自分とは別の人間であり、その人格を尊重することを常に頭に入れなくてはなりません。勉強する意味や必要性を教え自尊心を育てたあとは、自主性に任せあたたかく見守ることも親の役割といえるでしょう。

LIMO編集部