父親であれ母親であれ、初めての子育てにおいては右も左もわからないという同じ状態からスタートします。であるにも関わらず「女性の方が育児に向いている」とすることは、父親が育児に関わらないことを肯定しているようにも思えます。また、「男性は母性がないから育児に向いていない」とするのは育児を頑張っている男性に対しても失礼な物言いでしょう。
そして「女性が育児に向いている」という考えによって同時に推し進められるのは「男性は仕事に向いている」という考え方。育児や仕事の向き不向きが、性別ではなく個人で捉えられるべきなのは、男女平等の観点によるものだけではありません。
女性が男性に対し、「仕事に向いているのにどうしてそれしか稼げないの?」「男性なのに仕事でミスをするなんて」という見方は、人格否定にまで繋がってしまうからです。
母性があるからすべての女性は子どもが欲しいと思っている?
“母性”でさまざまなことを片付けられてしまうのは、多くの女性を生きづらくさせます。それはなにも、子育て中の母親だけではありません。
子どもが好きではなかったり子どもを産みたくないと考えたりする女性がいても、なにもおかしいことではないはすです。しかし、世の中に根強く残る「女性の幸せは子どもを産み育てること」「すべての女性は子どもが欲しいと思っている」といった言説によって、こうした女性たちが苦しむ姿を今まで数多く見てきました。
“母性”と聞いてイメージされるのは、体の中からふつふつとわき上がってくるような女性特有の感覚や欲望。そうした科学的には思えないものが存在するのかしないのかはわかりませんが、出産や育児のあれこれを“母性”ですべて片付けることは、理にかなっていないと感じられます。近年の虐待事件についても、「母親の母性が不足していたからだ」と結論付けることは何の解決策にもなりません。
“母性”という言葉は便利なゆえ、なんとなく使ってしまいがち。しかし“母性”で物事を決めつけることは、人知れず誰かを傷つけたり苦しめたりしてしまうということを、今一度考えなおしたいものです。
秋山 悠紀