宝くじの場合は、「1億円当たったら大金持ちだ」と「ワクワクする」ことでしょう。生命保険の場合には「自分が死んだら家族はどうなるのか」といった「ハラハラ」が消えることでしょう。

オリンピックなどで日本選手を応援する人は多いですよね。応援したから勝つというわけではないですし、勝ったからといって自分の利益になるわけでもないわけですから、「経済合理的」には応援するのは意味のない行為なわけです。

高校野球でも、「田舎の弱小高校」が「横綱」に挑むとなると、弱小高校を応援する人は多いですよね。負けてがっかりする確率が高いのに(笑)。しかし、応援しているとワクワクします。

弱小高校が負けても、「勇気と感動をありがとう」と考えれば良いのです。宝くじが外れた時も同じです。「ワクワクする夢が持てた時間をありがとう」と考えれば良いのです。

人生は、金のためにあるわけではありません。幸せになるためにあるのです。日本選手や弱小高校を応援している時のワクワクした気持ちが持てるなら、経済合理的でない行為も人生としては合理的なのです。

そう考えれば、数百円でワクワクできる宝くじは、人生の幸せに貢献している合理的な行為なのです。あとは、「株式投資の方がワクワクできる」のか「高校野球の応援の方がワクワクできる」のか、個々人の好き好きですから。

保険も同様ですね。ハラハラしながら暮らすのは嫌ですから、保険料を払ってハラハラから解放されるのは、合理的なことですね。

加えて、万が一の場合には、宝くじならば豊かになれるし、保険の場合には、「とても困った事態を避ける」ことができます。もちろん、これも立派な理由です。

特に保険の場合には、生命保険に加入しないと、万が一の時に残された妻子が路頭に迷うかもしれません。火災保険に加入しないと、万が一の時に住む家がなくて路頭に迷うかもしれません。そうしたリスクを避ける、という理由も重要ですね。

余談ですが、ということは、「自分が死んでも妻子が路頭に困らない」人は、生命保険に加入する必要がない、ということですね。ハラハラする必要がそもそもないわけですから。そこは慎重に判断したいものです。

本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。

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塚崎 公義