まずは自身の発言で教員や学校に関わる人や視聴者に不快な思いをさせたことを謝罪し、具体的な発言意図を説明、そして発言の影響力の大きさや起こっている現実問題を理解したこと、今後親として自分にできることについて意識を向ける決意表明、そして炎上という指摘によって自分が新たな見識を得られたことに感謝し、今後もこういった指摘をしてほしいというお願いで締めていました。

罪を犯したわけではないので記者会見をするほどではないけれども、著名人が特定の人を傷つけたり世間を騒がせたりしたことに対して自身のブログやSNSで謝罪をするのは、もはや定番となっています。

頻発しているからこそ、その謝罪をする意味はいかに反省しているかをしっかり説明して炎上が収束するようにし、マイナスになってしまった自身の評価をプラマイゼロに、あわよくば多少プラスに持っていくことでしょう。謝罪をしたのに反省の意が見られなかったりただ言い訳を述べたりするだけで、さらに炎上するケースも少なくありません。

嘘や偽り、自分をよく見せようという虚栄心なく真摯に反省し、また今回のことで自分が成長できたことに感謝さえする若槻さんの謝罪文は、SNS時代における謝罪作法のお手本のようなものだと感じました。

SNS時代の謝罪には「反省しているならもういいよ」と思わせる力が必要か

もちろん、反省や謝罪とは言葉だけでなく今後の言動でこそ真価が問われるもの。しかし若槻さんの謝罪文を読んだ上でまだ彼女を責める行為は、ただしつこく怒りをぶつけているだけのようにも感じられます。それほど、彼女の謝罪文にはこちらを「反省しているなら、もういいよ」と納得させる力があるものだったと言えるでしょう。

実際にこの謝罪文のコメント欄には、「批判しようと思ったけど、この文面を見る限りきちんと理解しているようなのでやめときます」「これからの若槻さんの言葉や行動に期待してます」といったコメントが散見されます。

昨今の芸能界は、謝罪会見や炎上が連日起こっています。芸能人や著名人が謝罪の作法を求められていると当時に、見ている私たちも彼ら彼女らの過ちを断罪し続けるだけでなく、真摯な謝罪を受け止める作法が必要になっているのかもしれません。

秋山 悠紀