今、彼に治療は必要だとは思いませんが注1、その代わり周囲の理解(少し変わっていても別に気にしないよ、という理解)と、それを補う適切な支援は必要だと思います。
 
それさえあれば、彼は多分今後の人生を普通に一般社会で生きていけるし、社会に十分貢献できる存在になれると思っています。

注1:発達障害に対してすべての治療が必要ないとは思っていません。症状を和らげる「対症療法」的な投薬は「適切な支援」にも含まれるものだと思います。

経済学の視点から:医療とビジネス

病気や障害は、ビジネスに馴染みません。これは「市場の失敗」です。「発達障害ビジネス」に関して言えば、問題は以下の2点だと思います。
 
(1)情報の非対称性

そもそも医療の世界では、医師などの「供給」サイドと、患者・家族などの「需要」サイドで、その医学的知識に大きな差があると言われています。

つまり「医療」という商品(あえて商品と言います)については、供給側と需要側でその商品の価値・有用性の判断能力に大きな差があるということです。

特に発達障害の世界は、本当にまだまだわからないことだらけで、医療者でさえ本当のところがわかっていません。そう考えると、患者・家族の「需要」サイドにとって、商品の有用性・価値判断は、いっそう困難であることが予想されます。

このような、「いい商品なのか、そうでもない商品なのか」が判定困難な状態では「市場原理」は成り立ちにくい、ということです。

(2)再現性の欠如
 
「発達障害」を治療します・支援します、と言う時、通常それは長期にわたるトライアルとなります。そしてそれは、患者側にとって1回きりのものです。その効果も、それが通常の発達段階なのか、治療・支援のおかげなのか、わかりにくいのです。

つまり、「発達障害治療」という商品は、人生で1回しか購入の機会がない商品であり、しかも非常に個別性が強く隣人との比較が困難な商品、と言うことができます。結果、こういう商品については、どうしても売り手側の理論が強く反映されてしまいます。これでは市場原理は成り立ちにくい。
 
市場原理が成り立たない市場(売り手に優位性が高い市場)で、医療を自由に売っていいということになれば、売上は右肩上がりにどんどん増えていきそうです。冒頭の「発達障害ビジネス急増」の記事の裏には、そうした経済学的な背景があるのかもしれません。

以上のことは、がん治療(代替療法など)にも当てはまるし、もっと言えば、医療業界全体にも当てはまります。

まとめ 

繰り返しますが、医療はビジネスには馴染みません。医療はもっと謙虚に、「過剰もなく不足もなく、真に患者さんの人生に貢献できるもの」を目指すべきで、もっと明確に「公」を目指すべきだと思います。
 
 発達障害については、まだ医学的にもよくわかっていません。根本的治療もありません。彼らに必要なのは、周囲の理解と適切な支援だと思います。

「障害があっても、病気があっても、高齢になっても、地域のみんなで違いを認めあって笑って過ごすことができる豊かな社会」

そんな社会を考えると僕は、出生率日本一の徳之島注2や、総合病院がなくなったのに大きな健康被害もなく高齢者医療費を減らした夕張市のことに思いを馳せてしまいます。

このような離島や僻地では、自然な形で周囲の理解と適切な支援が存在しているのです。実は、そんな社会は結果として、低コストで子育てにやさしいのかもしれません。

それこそが、本格的な人口減少・少子高齢化を迎える日本が目指すべきところなのではないか。僕は今、そんなことを考えています。

注2:鹿児島県の徳之島にある伊仙町の平成20年~24年の合計特殊出生率(ベイズ推定値)は2.81で、“子宝日本一の島”として注目されています(出所:厚生労働省)。

筆者の著書『破綻からの奇跡〜いま夕張市民から学ぶこと〜

財政破綻で病院が縮小された夕張市の地域医療から学べることは多い

※本稿は2017年9月24日初出の筆者のブログをリライトしたものです。

日本内科学会認定内科医 森田洋之