自分が被災したわけでも家族を失ったわけでもないのに、なぜ朝顔が母の里子を亡くした仙ノ浦駅で被災がフラッシュバックしたシーンを見て涙してしまうのか。なぜ、平が舅の浩之(柄本明さん)から疎まれながらも、泥だらけになりながら妻の遺体や手掛かりを必死に探す姿に胸が苦しくなるのか。

それは、東日本大震災以降の私たちにとって、日本各地で頻発するあらゆる自然災害を他人事と思えなくなっているからではないでしょうか。母を亡くした朝顔はあの時の自分だったかもしれず、妻の遺体を探し続ける平は明日の自分かもしれない。そして朝顔と平を残してこの世を去ってしまった里子の亡霊は、未来の自分かもしれない。

東日本大震災から8年以上が経った今、私たちは自然災害で被災した場所や人を伝えるニュースを目にすると震災以前のようには傍観できなくなりました。被災した方々を他人事として捉えられず、自分と同一視せざるを得なくなったからです。今回の台風15号で起きた千葉県の大規模な停電や断水にも、日本中の人が関心を寄せ、早急な対応策を求めて強い憤りを露にしたのもそうした意識が働いていたように思います。

その傍観しない視点を持ち続けてこそ、東日本大震災を“平成の歴史”として過去に置き去りにせず、“令和の未来”として語り継いでいくことができるのでしょう。令和最初の“月9”が「監察医 朝顔」であったことに、東北出身の筆者は今後のドラマ界の希望を見た気がしました。

秋山 悠紀