『女性が輝く社会』…標語のような言葉も出てくる世の中ですが、育児に家事にと忙しい毎日の中で、世の中のママがみんな活躍できるとは限りません。

育児も家事も、子どもの預け先の確保も、睡眠不足も、すべて自分で解決して、なおかつ共働きをしよう、社会に貢献しようと言われても、無理な話に聞こえます。

ただでさえ社会的にも厳しい目にさらされやすく、ホッと息抜きしていると「育児中の身なのに」とママを批判する風潮もあります。

女性同士のけん制、ほっといてくれませんか?

母子で過ごす時間が長い乳幼児期を頑張りぬいて、子どもが成長していっても、家族の生活は子どもが中心であることには変わりありません。女性に「自分のことは後回しで当たり前」思考を押し付けるのは個人の存在を完全に無視した考えなのです。

自分を犠牲にして生きる美徳や理想があるとしたら、それはママに限らず、そういう生き方を希望している人が自分の希望の範囲内で実行すればいいだけの話です。「こうあるべき」と無理な考えを押し付けるのは、まったくの間違いだと言ってよいでしょう。

またそのような「母親なんだから」思考を押し付けてくる人は、女性が多いともいえます。すでに育児を終えた女性や育児中の女性など、育児に深く関わる女性だからこそ、他人に厳しくなるのかもしれません。そして他人に厳しい女性もまた、周囲に「母親の自己犠牲」を押し付けられてきたのかもしれません。

人間は誰でも、自分を大切にしなければ心が荒み、余裕なんて生まれません。このような「後回し思考」は、「自分を大切にしよう」という気持ちを薄れさせてしまいます。

育児も家事も、ちょっと手を抜きながら自分を大切にしている人こそ、みんなを大切にできる余裕が生まれます。心に余裕があり笑顔も多いと、気持ち的にも何とかなると思えるようになるのです。

自己犠牲の先に幸せはあるのか?

自己犠牲は日本の美学ともいえます。

とくに親から子どもへの自己犠牲を伴う愛は、推奨されているといっても過言ではないでしょう。テレビドラマや映画などでも、「子どもへの親の自己犠牲を伴う愛」がテーマになっている作品が多く、人々の感動を呼び起こしています。

たしかに、子どもに愛情は必要でしょう。しかしそれは、母親でなければならないのでしょうか。また自己犠牲を伴う愛情でなければ、「真の愛情」「深い愛情」ではないのでしょうか。

愛情を与える人は、父親でも祖父母でも、地域の人間だって良いでしょう。そして自己犠牲を伴う愛情が、本当に子どもにとって良いとも言い切れないと思います。子どもからすれば、「いや、そこまでしなくていいよ…」「重い」と思われ、逆にプレッシャーになることもあります。

「自己犠牲」は自己満足でしかないのかもしれません。

さいごに

必ず子どもは成長していきます。貴重な子育て期間ですから、できるだけ楽しい思い出を増やしたいですよね。周囲に家事育児の負担は当たり前だと言われることもあるかもしれませんが、そういう意見に捉われてママが罪悪感を背負う必要はありません。

むしろ、学生の頃のように隙間時間を見つけ出してみませんか。学生さんの多くは、テスト前であっても勉強の合間をぬってテレビを見たりマンガを読んだり、すかさず息抜きをしていたと思います。必死で頑張るためには、反対にホッとする自由な時間が必要なのです。

子どもにとって、母親がゆったりと笑顔で過ごしているのはとても嬉しいことです。たまには自分を優先して、心に余裕をもっていきましょう。

LIMO編集部