保育士の報酬が低いことが昨今は問題になっていますが、それでも自分の仕事に対する対価があることでやりがいや責任感がありました。そしてお給料以上に、預かっている子どもが成長していく過程を見守ることができる喜びをモチベーションとしていました。

家庭内の育児も保育士の時と同じように、子どもの成長がモチベーションになるのかと思っていたら、意外とそうではありませんでした。特に産後はとにかく毎日、一瞬一瞬を乗り切ることに精一杯。

授乳、お風呂、寝かしつけが終わると「今日も無事に子どもを死なさずにいられた」と安堵することがたびたびありました。「育児は大変だけど、子どもの成長が嬉しい」と言えるようになったのは正直なところ、保育園に預けられるようになったり育児に慣れてきたりして気持ちの余裕ができてからです。

育児を担わない夫の言い分として「一生懸命に仕事をしている」というものがあります。確かに仕事をしてお給料をもらわないと暮らしていけません。しかし、時間の区切りがありお給料が発生する仕事とそれらが一切ない育児の大変さは、比べるにはあまりにも質が違います。

保育士経験も育児経験も経たことで、お給料の発生がどれほど目的意識として人を動かしてくれるのかを理解できました。

保育園での保育と家庭内での育児、どちらも大変

一方で、他人の子どもの命を預かっている保育士も、言うまでもなくとても大変な仕事です。頭と体のオンオフがありお給料が発生するといっても、決して生半可な気持ちではできるものではありません。

保育園に務めていた側から保育園に預ける側になった今思うのは、保育士は保護者にとって、ともに子どもの成長を見守ってくれる心強い味方であるということ。筆者が産後数カ月の間強烈に感じていたワンオペ育児の孤独は、保育園に預けるようになって一気に緩和されていきました。

保育士も育児もそれぞれに異なる大変さがあります。そして最後に声を大にして言いたいのは、保育士経験があるから育児もラクということでは決してなく、一方で育児経験があるから保育士もできるわけでは決してない、ということです。

秋山 悠紀