恋人や友人、家族などの親しい間柄での話し合いでは、当たり前ですが、仕事とは違って目的や期限、意思決定の責任者がハッキリしていないことがほとんどです。そのため、アイデアが出すぎて混乱したり、感情的な口ゲンカになったりしやすい傾向にあります。また、相手のことを思いやるあまり、お互いが損をしてしまうケースもあります。

 そんなときに役立つのが、人の話し合いを科学的に分析する「交渉学」の知識です。そもそも交渉の定義とは、「複数の人間が未来のことがらについて話し合い、協力して行動する取り決めをすること」です。つまり、私たちが毎日行っている他人とのコミュニケーションのほとんどが交渉にあたります。

 この記事では、『おとしどころの見つけ方 世界一やさしい交渉学入門』の著者で、交渉学の本場である米国マサチューセッツ工科大学で学んだ、交渉学・合意形成論の専門家である松浦正浩先生が、「親しい間柄での話し合い」に有効な交渉学のメソッドを紹介します。

要望が多すぎるときは、「見える化」して優先順位をつける

彼女:来月の旅行、どこ行こうか?
彼氏:レンタカーで地方回って、ご当地グルメ全制覇したいな!
彼女:え、せっかくだから海外行きたいな。あったかいリゾートホテルのビーチで泳ぎたい。

 少し誇張した例かもしれませんが、上記の要望をすべて通そうとしたら、別々に旅行せざるを得ません。こういった場合、まずお互いのやりたいこと、行きたい場所をすべて付箋紙などに書き出しましょう。そこから優先順位をつけ、そのトップ3を出し合うなどすれば、折衷案が立てやすくなります。

 プライベートでやりたいことの「ズレ」があることを認めると、「仲が悪い」ように思われるかもしれませんが、実はそんなことはありません。どれだけ仲がよくても、別の人間同士です。そのズレを認め合って調整できる関係こそ、ほんとうに持続可能な「仲がいい」関係だといえます。

相手の提案を受けるか迷ったら、別の選択肢と比較する

彼女:国内旅行でもいいけど、やっぱりリゾートは外せないな。ここのホテルで贅沢したい。
彼氏:贅沢っていっても、そのホテル1人1泊3万円じゃん。さすがに高すぎない?
彼女:そんなにイヤなら、わたし1人で行くわ。

 上記の例では、彼氏さんは1泊3万円という金額に納得がいかないようです。しかし、同意しないと2人で旅行できない可能性も出てきています。今後の対応次第では最悪の場合、破局というケースもあり得るかもしれません。

 このとき、もし破局したとしても、「別の相手がすぐ見つかる」もしくは「1人で旅行に行く」という選択肢があれば、人によっては関係性を悪くしても断る、という判断もできるでしょう。こういった、「交渉が決裂した際の他の選択肢」を、交渉学では「Best Alternative to a Negotiated Agreement」、略してBATNA(バトナ)といいます。

 この場合、1泊3万円払って一緒に旅行するか、断って関係性を悪くして他の選択肢を選ぶか、どちらが得策か判断することになります。プライベートの場合、他の選択肢を考えること自体がいけないことのように思われます。付き合っている相手がいるのに、他の候補と比較したり、1人でいる方がマシだと思っているなんて、たしかにヒドいですよね。しかし、相手の提案を受けるか否か迷っているとき、他の選択肢があれば、それを基準にすることで「感情的な判断」を避けることができるのです。

なんでも相手に合わせることが正解とは限らない

彼氏:そこまでいうなら、そのホテルでいいよ。
彼女:やった! ここゲレンデもあるし、スノボもしようよ!
彼氏:いいね!(ほんとは温泉浸かってゆっくりしたいんだけど、まぁしょうがないかな……)

 交渉学の研究で、「相思相愛のカップルは交渉がヘタ」という結果が出ています。なぜかというと、相手に合わせることばかり考えていて、自分の要望を主張しようとしないからです。

 理想的な交渉では、お互いの要望を明らかにして、その「ズレ」を調整することで、双方がより満足できるおとしどころを探します。しかし、双方もしくは片方が自分の要望を抑えてしまうと、2人とも望まない状況へと陥ってしまうこともあります。「相手に合わせた分、損をしている」ということですね。

 この場合、彼氏さんは相手にムリに合わせるよりも、自分が温泉に浸かってゆっくり休みたいことを彼女さんに伝えるべきです。当日、彼氏さんが疲れ切っていたら、彼女さんもスノボを楽しめません。これでは、誰の得にもなりません。もちろん、彼氏さんが1泊3万円のリゾートを拒めなかったように、他の選択肢と比較した上で、相手の条件をのまなければいけない場面もあります。しかし、自分の要望を相手にちゃんと伝えることではじめて、お互いが納得できるおとしどころが見つかるのです。

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まとめ

 最後に、ここまでのお話を簡単にまとめておきます。

1.要望が多すぎるときには、すべて書き出して優先順位をつける。そして、お互いの優先順位が高いもの同士をすり合わせる

2.プライベートにおいても、他の選択肢を判断基準にすることで、感情的になることなく判断をすることができる

3.親しい間柄だからこそ、相手にムリに合わせるのではなく、お互いの要望を打ち明けるべき

 以上のことを意識して、ぜひ親しい人たちとの「交渉」に活用してみてください。

 

■ 松浦正浩(まつうら・まさひろ)
1974年生まれ。Ph.D(都市・地域計画)。東京大学工学部卒業。マサチューセッツ工科大学修士課程、三菱総合研究所研究員を経てマサチューセッツ工科大学都市計画学科Ph.D。東京大学公共政策大学院特任講師、特任准教授を歴任し、現在、明治大学専門職大学院ガバナンス研究科(公共政策大学院)教授。著書に『実践! 交渉学 いかに合意形成を図るか』(ちくま新書)、訳書に『コンセンサス・ビルディング入門 公共政策の交渉と合意形成の進め方』(有斐閣)など。<

松浦氏の著書:
おとしどころの見つけ方 世界一やさしい交渉学入門

松浦 正浩