患者さんやお年寄り、ご本人の思いが”排除”されていませんか?

内閣府の「見える化」が明かす日本社会の実態

医療費が多い地域の介護費は少ない? それとも多い?

以前、都道府県別の「人口あたり病床数」と「県民1人あたりの入院医療費」の相関関係の記事を書き、大きな反響がありました。非常にざっくりとですが、その話の結論は次のようなものです。

「県によって人口あたりの病床数は倍以上の開きがある。しかし、病床が多いからといって平均寿命や健康寿命が長いというわけではない。それにもかかわらず、県民1人が使う入院医療費は県によって倍以上の差がある」(詳しくはこちらをご覧ください)。

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これに対し、批判も含め数々のご意見をいただいたのですが、中でも多かったのが、「病床の多い県は、実はその病床で介護需要を受け入れている。医療費が多い分、介護費が少ないのであれば、それは許容されるべき」というものでした。

たしかにもっともです。実は、僕がかつて診療所長をしていた夕張市では、財政破綻後、高齢者1人あたり「診療費」は減少しましたが、高齢者1人あたり「介護費」は増えています。それでも、医療費と介護費の合計は減少傾向ですので、市の財政面へは間違いなく貢献したと思いますが...(詳細にご興味のある方はこちらの論文をご参照ください)。

夕張の事例はまさに、「病床が減った分を介護で補った」、つまり「病床」と「介護」の相互補完・バーター関係が存在した、という意味でもあると思います。先述の「病床の多い県は医療費が多い代わりに介護費が少ないのだから、それでいいのでは?」というご意見と親和性の高い話ですね。

一方、日本全国を見ると、特別養護老人ホームへの入所を希望しても「◯年待ち」と言われてしまう。そんな「待機高齢者」がなんと全国で30万人とか40万人という話があります(最近減ってきているとは言われていますが)。

これだけ介護施設が足りないのであれば、その分を医療が、つまり病院が受け入れているんだ!という話は、(もちろん本来の医療の使い方とは違うかもしれませんが)ある意味美談にも聞こえてきます。

内閣府の「見える化」データが示す医療費と介護費の関係

では、「入院医療費」と「介護費」は本当に相互補完・バーターの関係にあるのか。その真偽を探るべくいろいろ調べたところ、政府・行政による「見える化」データにその答えがありました。

1人当たりの入院医療費と介護費(施設・居住系サービス)の都道府県分布

出所:内閣府・社会保障ワーキンググループ「医療+介護」の「見える化」について②(平成28年4月8日)

上の図を簡単に言うと、「1人あたり入院医療費(75歳以上)」が高い都道府県は、「1人あたり介護費(施設居住系サービス)(75歳以上)」も高い傾向がある、ということになります。

結局、夕張のように小さな行政単位で見れば、医療と介護の相互補完・バーター関係が成り立つように見える地域もあるが、実際に全国のデータをとってみると決してそんなことはなく、医療の供給(需要)が多い地域は、介護の供給も(需要)も多い(場合が多い)、ということなのでしょう。

「1人あたり入院医療費(75歳以上)」が高い、それはつまり、「病院にいる後期高齢者が多い」ということでしょう。また、「1人あたり介護費(施設居住系サービス)(75歳以上)」が高い、それはつまり、「施設にいる後期高齢者が多い」ということでしょう。

後期高齢者が病院にも施設にも多くいる、ということは、逆に自宅にいる方々は少ないのでしょうか。もちろん介護度が高く、どんなに頑張っても自宅で生活できない方々もおられます。ただ、このグラフから分かるのは、その「自宅生活が困難」と判断される基準が地域によってマチマチだということではないでしょうか。

筆者の著書『破綻からの奇跡〜いま夕張市民から学ぶこと〜

財政破綻で病院が縮小された夕張市の地域医療から学べることは多い

医療における「社会的排除」とは何か

では、そもそも「自宅生活が困難」という判断は誰がするのでしょう。家族? ケアマネージャー? それとも医師? 本来最も優先されるべき「本人の思い」に耳を傾けられているのでしょうか?

以前、ある高齢の患者さんからこんなことを言われました。

「孤独死でも野垂れ死にでもいいから(独居だった)自宅にいたいんですよ。盆と正月に自宅に帰ると、仏壇の母ちゃんに線香あげる。涙が止まらなくなるんだ。なんでここでいられないんだろう、って。『ずっとここにいたい、施設には戻りたくない』って毎回騒ぐもんだから、東京からわざわざ来てくれてる息子と嫁に迷惑かけちゃうんだ」(90代・男性、軽度認知症あり1年前から有料老人ホームへ入所中)

 

この男性は、「孤独死でも野垂れ死にでもいい」とまで言っているのに、なぜ自宅にいられないのでしょう?「これくらいの認知症・歩行困難なら、この施設・病院」と、我々の社会はマニュアル的に彼らを社会から排除してしまってはいないでしょうか?

社会的排除とは「何らかの原因で個人または集団が社会から排除されている状態である。社会的包摂(しゃかいてきほうせつ)の反対の状態である」とWikipediaには書かれています

施設に入所したり、病院に長期入院している高齢者や障害者も、認知症患者も知的障害者も、彼らが仮に(自分の意思にそぐわない形で)社会から排除されているのなら、これは日本社会における最大の「社会的排除」かもしれません。

日本は世界一の病床数を持っています。そして多くの高齢者が病院で生活しています。また、精神病床数も世界一、もちろん多くの精神障害者(知的障害者も)がそこで生活しています。そう考えると、もしかしたら日本は「世界一の社会的排除大国」なのかもしれません(OECD Data:Hospital beds、厚生労働省:精神障害者の退院促進)。

高齢者や障害者を地域社会で見守る取り組み

こういうことを話すと「おまえの言うことはわかるが、それは理想論だ」とよく言われます。しかし、「認知症高齢者も精神障害者も知的障害者も、地域社会で見守る」(=社会的包摂、Social Inclusion)という取り組みは、実は日本でも行われている地域が実際にあるのです。

たとえば、石川県のある社会福祉法人は、施設の壁を取り払って、施設の障害者も地域住民も一緒に銭湯の掃除をしたりして、“ごちゃまぜ”の世界を作り出しています。

また、北海道の「べてるの家」や愛媛県の「御荘診療所」では、精神病院で生活していた多くの方々が地域で生活できるようになった結果、精神病院入院患者がほとんどいなくなってしまったそうです。

さらに、最近のデータ(平成27年都道府県別生命表の概況、厚生労働省)で女性は1位、男性は2位の長寿県である長野県は、長寿であるもかかわらず医療費+介護費は比較的低く、男女ともに高齢者有業率が日本一高いと言われています(高齢者の就業、平成24年10月1日現在、総務省統計局)。

長野県では高齢者は「社会から排除される存在」ではなく「貴重な働き手」として社会に認められる傾向があるのでしょう。だからこそ高齢者が元気なのかもしれません。

日本はこれから、未曾有の高齢化社会という荒波の時代に突入します。その時、どんな社会ならみんなが笑顔でいられるのか。どんな社会なら子どもたちの世代にツケを回さずに済むのか。

現状のような「高齢者も障害者も社会的排除」してしまう世界は、果たして生産性の高い社会なのか。しっかりと議論してより良い社会を子どもたちに残したいですね。

日本内科学会認定内科医 森田洋之

参考記事

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森田 洋之

1971年横浜生まれ、一橋大学経済学部卒後、宮崎医科大学医学部へ。内科研修終了後、財政破綻後の北海道夕張市・夕張市立診療所に勤務。同診療所所長を経て妻の実家の九州へ戻る。
2011年、東京大学大学院H-PAC千葉・夕張グループにて夕張市の医療環境変化について研究。2014年、TEDxKagoshima出演。同年、研究論文『夕張市の一人あたり高齢者診療費減少に対する要因分析』(社会保険旬報)発表。2015年、『破綻からの奇蹟〜いま夕張市民から学ぶこと〜』を出版(日本医学ジャーナリスト協会優秀賞受賞)
現在、南日本ヘルスリサーチラボ代表、日本内科学会認定内科医、日本プライマリ・ケア連合学会指導医、鹿児島県参与(地方創生担当)。森田洋之のブログは「note」をご覧ください。