金融庁は、銀行(信用金庫等を含む、以下同様)に対し、担保・保証がなくても事業に将来性がある先、信用力は高くないが地域になくてはならない先、などに積極的に融資するように促しています(平成28事務年度金融行政方針)。銀行が貸出に際し、十分な担保・保証のある先や高い信用力のある先にしか貸していないのではないか(「日本型金融排除」が生じているのではないか)、との問題意識が背景にあるわけです。

これは、ある意味の理想論であり、「青臭い書生論」です。現実的ではありません。金融庁は自身を「処分庁から育成庁へ」と言っているようですが、悪い冗談にしか聞こえません。その理由について考えてみましょう。

銀行は慈善団体ではなく、利益追求が目的である

信用力は高くないが地域になくてはならない先に対して地銀等が融資を行なうことをどう考えるべきでしょうか? 信用力が高くない借り手ですから倒産する可能性も高いわけです。なぜ、地銀等が融資しなければならないのでしょうか?

結果として当該借り手が倒産せず、それにより地域経済の活力が守られれば、地域の企業も地方公共団体も地銀等も助かります。それなのに、なぜリスクは地銀等だけが負わなければならないのでしょうか? 経済学的に言えば、地域経済の安定という「公共財」のコスト(リスク負担)を地銀だけが払う理由などありません。銀行は慈善団体ではありませんから(笑)。

たとえば、広島経済にとって不可欠なマツダの下請けが経営難に陥ったとします。当該下請けの部品がマツダにとって必要であるという場合、地銀である広島銀行は当該下請けを支えるべきでしょうか? 当然、マツダの保証を要求すべきでしょうね。広島市や広島県の保証でも良いですが。

地域経済を発展させる(衰退を防ぐ)のは、地銀だけの責任ではありません。むしろ地銀は、「金融は経済の血液だ」ということで必要な資金を必要な所に行き渡らせる心臓の役割に徹するべきです。「手足が活発に動いているので大量の血液が必要だ」と言われた時に血液を送るのであって、心臓が手足を動かすわけにはいかないのです(笑)。

将来性のあるベンチャー企業には融資より投資を

「技術力があり、将来大きく育つ可能性があるベンチャー企業」は多数あります。そうした企業を銀行が育てることができれば素晴らしいでしょうが、残念ながら、それは銀行には不向きな仕事なのです。

銀行がベンチャー企業に融資したとして、ベンチャー企業の売上も利益も100倍になったとして、銀行が得られるものは金利だけです。一方でベンチャー企業が倒産すれば、銀行は貸出元本を失うことになります。そんなハイリスク・ローリターンなビジネスをやるわけにいきません。銀行は慈善事業ではありませんから(笑)。

こうした企業には、投資をすべきです。投資家が株式を購入するのであれば、成功すれば株価が何百倍にもなり得ますから、ハイリスク・ハイリターンです。それならば銀行が投資をすれば良いようにも思えますが、話は簡単ではありません。銀行員は「企業が倒産しそうか否かに神経を集中しろ。企業が大きく成長するか否かは銀行には無関係だから気にするな」と言われて育っているからです。ここは金融庁にベンチャーキャピタル等の投資家を育成してもらうしかないでしょう。

信用保証協会の廃止が必要かも

担保がない中小企業に高い金利で貸すことはできるでしょう。「倒産確率3%と思われるので、金利5%で融資する」ということならば、理論的には可能でしょう。もっとも、これも容易ではありません。

第一に、信用保証協会を廃止してもらう必要があります。そうでないと、自行だけが借り手の事業性を見て融資しようとしても、ライバル行が信用保証協会の保証付きで低金利融資を行なって自行の顧客を奪ってしまうかもしれないからです。もっとも、信用保証協会が廃止されれば、日本中の銀行融資が金利5%となり、中小企業の倒産が激増し、日本経済が崩壊するかも知れません。

第二に、銀行のこれまでの稟議(建前)が「債権回収に懸念がないから貸す」というものであったため、銀行内の文化を変える必要があることです。金融庁検査も変わってもらう必要があります。金融庁の指導で銀行が融資姿勢を変えるのですから、金融庁検査が変わるのは当然ですが(笑)。

第三に、担保も保証もなしに借りられることがわかると、借り手がハイリスク・ハイリターンなビジネスを始める可能性があることです。銀行の裏をかいて「銀行から借りた資金で宝くじを買う」ような借り手が出てくるかもしれません。当たれば借り手の勝ち、負ければ銀行の負け、というわけです。

銀行は金融庁に従うべきか?