3. 自らの判断で適切に動いた店長たち

 被災し、その上どこにも連絡がつかない。

 本部の社員・スタッフたちも総出でフォローに回りますが、当時50店舗を超える全店舗を回れる状態にはありませんでした。本部と工場の状況把握などの対応でフル回転です。本部スタッフから各店舗へも電話・メールはつながらず、地震と津波の影響もあり、車を使った移動もままなりません。

 そんな状況下で、店長たちは自主判断でお客様と従業員を避難させます。津波に呑まれた喜久水庵・多賀城本店の店長は、すぐ近くにあるイオン多賀城店の屋上から、海を指して何かを叫ぶ方に気づいて津波を察知し、お客さまを連れて歩道橋の上に避難します。店舗は波に呑まれましたが、人的被害を免れました。

 その後、店舗が無事だった喜久水庵の店長の多くは、お店に残る要冷蔵のお菓子を避難所に寄付しました。誰の指示も受けていない状態で「電気が止まった状態で、明日になれば廃棄に回さざるを得ないお菓子も、いま食べていただければ被災者のお役に立てる」と考えたのです。

 お茶の井ヶ田の喜久福は、現在は地元のみならず、宮城をはじめ東北でも人気のお土産物となっています。多くのファンに支えられ、そこまでの人気商品になった背景には、美味しさはもちろんですが、震災時の喜久水庵で働くみなさんの行動・機知もあったといえるでしょう。

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4. トップの「普段の言葉」こそ混乱期の力となる

 このように、井ヶ田が震災を経てより広く知られるきっかけとなったのは、何十とある店舗の、若き店長たちの自主判断による行動でした。なぜ、そんな行動ができたのか知りたいと思った私が、店長さんたちにお話を伺ったところ、その理由は、日ごろからの経営者の「言葉」にありました。