大竹:そこまで順調な事業をどうして売却したんですか?
那部:息子が障害者であるということへの穴埋めとしてぜいたくをしていた面があって、そのことに気づいて虚しくなったからですね。40代になって、息子の障害がNGなわけではなく、それに対応できていない社会がNGだと気づいたら、会社が必要なくなっていたという感じです。
そして売却益を原資に不動産業を本業として1年取り組み、家賃で食べていけるだけの収入を確保しました。その後、ご存知の通り大家さんはヒマですから「息子のような人をハッピーにしたい」と色々と考え始めました。
オフィス拡大時の贈り物からビジネスヒントを得る
大竹:最初から胡蝶蘭をビジネスにしようと思っていたんですか?
那部:ベンチャー経営者時代のことですが、事業が順調に拡大していったので、オフィスが大きくなるたびに取引先から山のように胡蝶蘭が会社に届くという実体験がありました。秘書がまとめた「YY会社様:◯万円/ZZ会社様:□万円」というリストが机にポンと置いてあるんです。
大竹:それがビジネスのヒントに?
那部:はい。当然ながら相手先にお祝い事があれば、頂戴した金額に見合った返礼をする……という社会儀礼として循環する流れになっていますので、この往復ビンタみたいなビジネスに息子のような障害者が関われれば良いなというイメージはありました。
しかも、お祝い事ですから当然値引きも求めない。胡蝶蘭が並んだ時に他社より貧相だと恥ずかしいしいので、しっかり予算を掛けてより良いものを贈る前提があるので価格競争に陥らない要素もある。
大竹:往復ビンタとはおもしろい(笑)。それで、胡蝶蘭の栽培には何か関りがあったんですか?
那部:いや、今でも栽培はできません!(笑)