新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まった。私(ライター)は、ボランティアとして参加する予定だが、本当に開催できるのか不安もある。

それに対して「ボランティアとしては、うろたえることなく粛々と準備を進めるのみ」と話すのは、2012年ロンドン大会から、14年ソチ大会、16年リオ大会にボランティアとして参加し、さらに今回の東京大会にも参加予定の西川千春さんだ。その意図、さらにはボランティアとして参加することの意義を聞いた。

<取材・文/下原一晃 フリーライター。東京五輪・パラリンピックに、大会ボランティア(フィールドキャスト)および、東京都の都市ボランティア(シティキャスト)として参加予定>

ボランティアとしては事態を見守るしかない

――安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が会談し、東京五輪・パラリンピック(以下、東京2020大会)を遅くとも来年の夏までに開催することで合意したと発表されました。関係者はもとより、ボランティアの間には安堵と不安の両方が広がっているようです。

西川:もちろん、不安はあるでしょう。かといっていたずらにうろたえる必要もありません。というのも、新型コロナウイルスの問題がいつ収束するのか今の時点ではわからないですし、それを予想して私たちボランティアが「1年後の延期が望ましい」「いや今夏に開催すべきだった」と議論したところで本来の課題の解決につながるわけではありません。今はただ、見守るしかないと思います。

中には、開催時期が先に延びると、仕事や学校の都合で参加できないという人もいるでしょう。私自身も、現時点では「LAN」と呼ばれる「言語サービス」で東京オリンピックのボランティアに参加する予定ですが、1年先は何が起こるかわかりません。もしかしたら何か事情があって参加できなくなるかもしれません。でも、それも残念ですが仕方がないことです。自分の自由意志で、できるときにできることをする。それがボランティアですから。

西川千春氏(公益財団法人笹川スポーツ財団 特別研究員)

あくまでも本人の「自由意志」で参加するのがボランティア

――「自由意志で」とのことでしたが、日本では「ボランティア」の定義があいまいなように感じます。

西川:日本では長い間、地域の互助会的な組織が機能してきました。このため、地域や組織の中で、滅私奉公というか、やむなく無償奉仕をすることが少なくありませんでした。かつてのサービス残業が当たり前だった企業もそうですし、マンションの理事会や学校のPTAなどの活動もそうでしょう。

こういった経験から「ボランティア=無理やりの無償奉仕」と捉える人も少なくありません。確かにボランティア活動の場合、多くは無償ですが、その前提となるのはあくまでも自らの自由意志で参加するということです。決して強制されるような状況であってはなりません。