「名もなき家事」という言葉が、共働き夫婦の家事分担をめぐる議論の中ですっかり浸透してきました。日常的にこなさなくてはいけない膨大な業務量にも関わらず、家族からは「やって当たり前」と思われ、達成感も得にくいために負担感が大きいといった点がたびたび取り上げられています。

この「名もなき家事」同様に、筆者は「名もなき育児」もまた多くの母親を追い詰めていると常々感じています。育児の場合、家事以上に正解やゴールが不透明だからです。筆者の実際の育児経験からお伝えします。

「死なさない」という24時間体制の最大ミッション

「育児」と聞くと、授乳やオムツ替え、離乳食やご飯を作って食べさせる、お風呂に入れる、寝かしつけなどがすぐに思い浮かぶでしょう。しかし、これらは育児の中でも大変でありながらもとてもわかりやすいタスクです。母乳をあげる授乳以外であれば、夫にやり方を教えて「やっておいて」とお願いすることも比較的難しいことではありません。

一方、実際に育児をしてみると、ひとつひとつのタスクは完了しても、常に「子どもを死なさないようにする」という最大のミッションが付きまといます。これがなによりも大変で、多くの母親が追い詰められる要因のひとつとも言えるのではないでしょうか。

たとえば、寝ている時にはちゃんと呼吸をしているかの確認だけでなく、汗をかきすぎないように室温を調整し、風邪をひかないように布団がちゃんとかかっているか、お腹が出ていないかをチェック。体調が悪そうな時には、今すぐ夜間救急に連れて行くか朝まで待つかを、子どもの様子を逐一見て判断しなければいけません。

仕事や他の用事を調整して、毎シーズン、毎月のように打たなければいけない予防接種のスケジュールを確認し、小児科を予約して予防接種を受けさせるのも、大きな仕事。

子どもの月齢にもよりますが、一人で遊んでくれている時間も、油断して昼寝なんて決してできません。オモチャや小物の誤飲や転倒による怪我がないように神経を使わなければいけないので、その時間は育児から解放されるどころか、むしろ育児真っ只中とも言えます。

このように、「死なさない」という育児は細分化するとやるべきことが膨大で24時間体制という大変な労力を必要とするものだと、筆者は実際に育児をしてみて感じています。

「愛着障害」にならないために、やってもやっても足りない愛情表現