我が子が将来苦労しないかと心配なあまり、しっかりと育てようと気負ってしまい厳しい口調で叱ってしまうことはありませんか?

そこには親心があると思っていても、実はそれは自分のエゴや、イライラが原因になっているのではないかと、ふいに自分のしつけに不安になることがあります。では、「子どものため」のしつけとはどのようなものなのでしょうか。

しつけることと支配することを区別しよう

言うことを聞かない子供に注意をする際、根底に「子どものため」という思いがある場合と、「自分の都合」が優先されてしまう場合があります。例えば「家まで頑張って歩きなさい」という言葉の中に、子どもの体力を付けたい気持ちが含まれていればしつけといえます。一方、親が疲れていて早く帰りたいがために怒鳴って子どもを歩かせるというのは、親の都合が優先されており、いわゆる支配となっている場合があります。

親に叱られたとしても、きちんとその理由を理解できるようなフォローがあれば、「自分のために厳しく教えてくれたんだ」と自尊心を傷つけません。しかし、イライラするあまり感情をぶつけ、子どもの人格まで否定してしまうような怒り方は、子どもに精神的ダメージを与える行為といえるでしょう。子どもにも大人同様人権があり、一人の人間であることを忘れないようにしたいものです。

勉強するのは誰のため?

最近耳にするようになった「教育虐待」という言葉。教育熱心な親が子どもの勉強や習い事にヒートアップしてしまい、子どもの意思を無視して強要する行為が年々増えているといいます。ひどい場合には、自分の想い通りにさせるために暴行や虐待を行うといったケースも報告され社会問題となっています。そこには一体どのような背景があるのでしょうか。

進む少子化に加え、最近は学力の二極化が激しくなってきています。昔だったら親の熱意が兄弟に分散できたところを、一人っ子のため一身に背負わなければならない、という家庭も増えているようです。また、自分の成功体験や失敗にとらわれ、その思いを子どもに押し付けてしまう親も。熱くなっている親は、子どもの苦しむ姿やSOSを見落としがちになります。結果、子どもの心身にストレスを与えてしまったり、性格に歪みがでてしまったりするなんてことも少なくありません。

多様化が進む中で、勉強だけでなくスポーツや芸術などさまざまな分野で成功させたいという思いが強くなりすぎ、本来見るべき我が子の気持ちや才能を見誤ってしまうという現象が起こってしまっているようです。

傷ついた心には、思いは伝わらない