精神科医の斎藤学氏は、「毒親」を4タイプに分けて定義しています。

  1. 過干渉、統制型の親(「あれをしなさい、これをしなさい」と何でも先回りして指示を出す)
  2. 無視親(ネグレクトも含まれる、ワーカホリズム(仕事依存)の親など)
  3. ケダモノのような親(暴言・暴力などの虐待や性的虐待など)
  4. 病気の親(精神障害をもった親、反社会性人格の親など)

並べてみて分かるように、3と4の親はその質の悪さが群を抜いていると思います。この4つの分類は学術上のものであり、私たちが生活している中で語る場合の定義としては、少々不便なのではないでしょうか。

例えば、「毒親」という言葉を知ることで「私がずっと親に感じていた違和感はこれだったのか…」という気づきを与えられたとします。しかし3や4(とくに3の両親の場合)は、子どもが大人になる過程で、もしくは物心ついたときから「毒親」という言葉がなくても親の異常性に気づいていることが多いでしょう。

また、もし近しい人に「私の親は毒親で…」と話す機会があったとします。『実は私も…』と言われることも、あるかもしれません。ですが4つの定義を念頭に置いて話していると、1や2の親を持つ子どもは、3や4の親の話を聞くと「私の親はまだ良い方なのかも・・・」と感じてしまう人が多いのではないでしょうか。しかし、1や2の親をもつ子どもも苦しんでいるのは事実なのです。

※4「病気の親」について、斎藤氏は「(双極性障害やうつなどの)親のもとに生まれた子どもたちには、できる限りの支援と保護が必要である。しかし、精神病を持った親もまた周囲の適切な支援と保護が必要な患者なのである。」としています。

ブームで終わらせてはいけない

10年前に比べると、「毒親」という言葉を見聞きする機会が減ったように思います。「毒親」という言葉が広まった08~10年頃では、芸能人が『実は私の親も毒親でした!』などと告白したり、書籍も多く出版されていた印象です。現在もその言葉は使用されていますが、以前ほど頻繁に見聞きしているわけではありません。この現象の理由の1つとして、『もう言いたいことがある人は言い終わった』ということが考えられるのではないでしょうか。

「毒親」ブームのお陰で、今まで抑圧されていた感情を周囲に吐露することができた人が多かったのかもしれません。しかしそれも何年も言い続ける人はいません。悩みがなくなったわけではありませんが、いつまでも言い続けるわけにもいきません。

最近では、子どもが虐待によって亡くなってしまった事件のニュースに「毒親」という言葉が使われていました。「毒親」をもつ大半の人は、口をつぐむしかありません。だって、殺された訳じゃないし『僕たち/私たちの方がまだましだから・・・』。

しかし「毒親」の本質は、議論し続けることにあると思います。今「毒親」に育てられている人はどうすれば良いのか、「毒親」に育てられた大人はずっと苦しみ続けなければならないのか、「毒親」にならないためにどうすれば良いのか、私たちは考え議論し続けなければならないのではないでしょうか。

親と距離を置いてもいい

親によって子どもの運命は大きく変わる…それはいつの時代も揺らぐことのない事実として私たちを追い詰めます。

厚生労働省が公表した「平成29年度(17年度)の児童相談所での児童虐待相談対応件数」は13万3778件(速報値)と過去最多となっています。

虐待が増えたのか、それとも周囲の目が厳しくなったのかは分かりません。しかし核家族化だけではなく、近所との付き合いも希薄になっている時代です。ますます家庭が「閉じられた社会」になってしまっており、他人の「おせっかい」が必要とされている時代だとも感じます。

まず虐待は犯罪ですから、家庭内に警察を入れる必要があるでしょう。そして親であっても毒になる人間もいるということ、そういう人間とは距離をとっても良いということ、そして「毒親」に育てられたからといってその子どもの人生は何ら終わってはいないということ、声に出し続ける必要があると思います。

参考資料:

毒親と子どもたち」(斎藤学)

「平成29年度(17年度)の児童相談所での児童虐待相談対応件数」(厚生労働省)

尾藤 ちよ子