仕事の悩みで大きなものの一つと言えば、「職場の人間関係」。ウマの合わない上司や言うことを聞かない部下など、同僚とのつき合いがうまくいかず、悩む人は少なくないでしょう。各種アンケートでは、転職の理由を「人間関係のこじれ」と答える人が多く、「職場から離れること」でしか悩みを解決できないと考える人の多さに、問題の根深さを感じます。

 人間関係がうまくいかなくなると、当然、仕事にも悪影響が出ます。情報や意思がスムーズに伝達されないため、トラブルやミスが発生しやすく、仕事のパフォーマンスの低下は避けられないでしょう。こんな環境が続けば、ストレスは溜まる一方。体を壊す前に、問題解決を図りたいものです。

「いい人間関係を築くヒントは、歴史にあります」というのは、『日本史に学ぶ一流の気くばり』の著者であり、歴史家・作家の加来耕三氏です。加来氏は、「日本の歴史に名を残した偉人たちも、私たちと同じように人間関係で悩み、それを独自の方法で克服してきた」と言います。いったいどんな方法で? 同書をもとに加来氏に解説してもらいました。

ときに生命にさえ関わる人間関係

 今の時代も大変だと思いますが、日本史にみる人間関係のほうが、より過酷だったといえるかもしれません。たとえば、戦国時代では、イヤな上司(主君)であっても、逆らえば評価や出世、ときには生命に関わりますし、気に入らないヤツだと思われれば、裏切られたり、だまし討ちに遭ったりすることも珍しくありませんでした。周りとの関係を常に良好に保っておかないと、いつ寝首をかかれるかわかりません。

 では、武将たちは、そうした権力者の振る舞いからどうやって身を守り、周りとうまくやっていたのでしょうか。

私は、「気くばり」だと思います。皆さんの近くにもいませんか? つねに周りに目くばりして、相手の気持ちを盛り上げ、場の空気をいい方向に変えようと努力している人が。こういう人は周囲から信頼を得て、やがて成功していくでしょう。

戦国でまず思い浮かぶ「気くばりの達人」は?

 気くばりの達人を日本史の戦国時代に探せば、すぐ思い浮かぶのが豊臣秀吉です。秀吉は生涯、人の悪口を言いませんでした。家柄もよくなく、何の後ろ盾もない中で出世していくには、そうするしかないことを彼はよくわかっていました。

 自分の身一つで生きていくしかない以上、秀吉は誰からも嫌われない道を選ぶしかありませんでした。「おまえは猿に似ているな」と言われたら、怒るどころか、「ウキキッ」と猿の真似をして応える。「こいつは愛嬌がある。可愛いヤツだ」と思ってもらうことで、人間関係を築いていったのです。

 秀吉の凄さは、生涯その気くばりの習慣を続けたことです。関白になっても、天下を手中に収めても、愛嬌のある態度を変えませんでした。つねに周りに気をくばり、相手を気持ちよくさせることを考えていました。秀吉のことを生来、人の気持ちをつかむのがうまかった「人たらし」、という人がいますが、彼は努力してそうなっていったのだと思います。

「私は社交的な性格ではないから、人と上手くつきあえない」と言う人がいますが、避けているだけでは、自ら人間関係を悪くしているようなもので、思っている以上に損をしていると言えるのではないでしょうか。

平清盛の部下への気の遣い方がすごい

 平安時代末期、貴族に代わって権力を意のままにした平清盛も、気くばりの人でした。彼は部下を叱るときに、絶対に人前では叱りませんでした。部下に恥をかかせないよう、こっそり誰もいないところに呼んで、噛んで含めるように諭(さと)しました。

 最近でこそ、「パワハラ」や「モラハラ」と言われることを恐れて、同様に心がける上司も多いですが、清盛ははるか昔に、誰に言われるともなく、これを実践していたわけです。

 また、猛将のイメージのある戦国武将の武田信玄も、気くばりの達人でした。信玄は有名な「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)」という国法をつくり、「この法律は私自身にも該当します。至らない点があれば言ってください」と、家臣にへりくだっています。信玄に対して抱く一般のイメージとは異なるのではないでしょうか。

 当時、大大名だった今川義元の父・氏親が作成した「今川仮名目録」は、出だしが「酒を飲みながらつらつら考えた。文句ある奴はかかってこい」と強気です。完全な上から目線でした。信長に負けてから、今川家があっという間に滅んでしまったのも、仕方ないことといえます。

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相手の気持ちに気づけなかった石田三成

 気くばりすることで周りの信頼を勝ち取った武将がいる一方で、気くばりが足りないことで失脚し、消えていった武将も少なくありません。すぐに思い浮かぶのは、関ヶ原で西軍の主将をつとめた石田三成です。

 こんなエピソードがあります。豊臣秀吉の命で朝鮮へ出兵し、帰国したばかりの福島正則や加藤清正は、地獄のような戦場を経験して、心身共にボロボロの状態でした。

 そんな彼らに、三成は「ご苦労様でした。国許に帰って休養してください。一年後には茶会でもやりましょう」と声をかけたのです。三成はけっして、二人を軽く扱っているつもりはなかったのですが、武将たちは怒りました。「おまえは日本でぬくぬくとしていたくせに、命懸けで戦ってきたオレたちへのねぎらいが、茶会をやる程度なのか」

 三成にはこのあたりの、いわゆる「空気」を読めない面がありました。それに加えて、自分こそが大規模な計画を立てて、全国に船舶を手配して、朝鮮から遺漏なく出征将兵を全軍撤兵させたというプライドもあったのです。つねに自分の感情を優先しているから、相手の気持ちに気づくのが遅れ、気づけないことも多かったのかもしれません。

 日本史には、三成のような反面教師の例もあれば、逆に、平清盛のように人間関係を築くお手本もあります。人間関係でこれ以上悩まないためにも、偉人たちが実践し、成果をあげた気くばりにぜひ学んでください。

 

■ 加来耕三(かく・こうぞう)
 歴史家・作家。1958年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業後、同大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師をつとめながら、独自の史観にもとづく著作活動を行っている。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著書に『坂本龍馬の正体』『刀の日本史』『1868 明治が始まった年への旅』などのほか、テレビ・ラジオの番組の監修・出演も多数。

加来氏の著書:
日本史に学ぶ一流の気くばり

加来 耕三