近しい人に、あるいはまったく見ず知らずの人に、「それ、子どもがかわいそうだからやめてあげなさい」「子どものために○○してあげなさい」なんて唐突に言われたことありませんか? 言った本人にすれば、「子どものことを思って」という大義名分があるのかもしれませんが、言われた方はモヤモヤが残ります。

それはなぜか? なぜなら、発言者の「これが正しい」が、「あなたは母親失格」という烙印を押しているかのように聞こえるからです。

私はかわいそうなことをしているの?

筆者の娘が生後半年ごろのことです。実家へ帰省するために、娘と新幹線に乗っていました。娘が眠くなりぐずりだしたので、筆者は娘を抱っこひもで抱え、デッキに立っていました。当時、娘は抱っこひもでひとしきり泣いてから眠りについていたのです。

新幹線の揺れも手伝ってくれ、娘は普段よりも短く泣いてから、寝入ってくれました。娘が寝入ったのを見届けてから車両に戻り、席に着いた私に女性が近づいてきました。

車両はガラガラにもかかわらず彼女は私の隣に座り、こう言いました。

「ねぇあなた、こんなにも空いているんだから、赤ちゃんを座席に座らせてあげなさいよ。伸び伸びさせてあげればいいじゃない、かわいそうに、そんな窮屈な思いをさせて…。さっきまで赤ちゃん泣いていたじゃない、どうして出してあげないの? かわいそう…」

あまりに突然の出来事に唖然としていると、新幹線はホームに到着。その女性は、「あぁ、本当にこの赤ちゃんがかわいそう!」と言い残して列車を降りていきました。

最初は何が何だかわからなかったのですが、時間がたつにつれて怒りがこみ上げてきました。そしてその後、深く落ち込んだのです。「私は、見ず知らずの人に、子どもが可哀想だと思われるような育児をしているのだろうか…」と。

もう7年も前の話になりますが、今でもふと思い出し苦い気持ちになることがあります。

「かわいそう」に振り回されないで

市販のベビーフードを購入したら「なんで離乳食作ってあげないの? 手抜きして赤ちゃんがかわいそう」。どうしても体調が悪くて数日外出できなかったら「公園にも連れてってあげないで…かわいそうに」。