外国人労働者を受け入れるべきか否かを論じるとき、日本に働きに来る外国人労働者が家族を連れて来れないことを問題視する人がいます。家族の帯同も認めるべきだ、というのです。

それは正論かもしれませんが、そうなると行政コストが数倍に膨れ上がることが予想されます。それをどうすべきか、併せて議論する必要があります。

選択肢を考えてみましょう。(1)家族の帯同を認め、増える行政コストはすべて雇用主に負担させる、(2)家族の帯同を認め、増えるコストはすべて一般国民の税金で負担する、(3)家族の帯同を認めず、増える行政コストをすべて雇用主に負担させる、(4)家族の帯同を認めず、増える行政コストをすべて一般国民の税金で負担する、(5)外国人の単純労働者は受け入れない、といったところでしょう。

(1)は企業の猛反対で通らないでしょう。(2)は一般国民の猛反対で通らないでしょう。残念なのは「家族の帯同を認めるべきだ」という人の中でさえも、「家族の帯同を認めるべきだ。それによって必要となる行政コストは我々が喜んで負担するから増税してくれたまえ」という人が少ないことです。

筆者は(5)を期待しますが、妥協案としては(3)もありでしょう。(4)を選ぶべきでないことは、上記の通りです。

さて、外国人の幸せを考えた場合、どれが幸せでしょうか。たとえば「農業が外国人を受け入れる場合」と、「受け入れずに農村の高齢化で農業生産が減った分は外国から農産物を輸入する場合」を比べてみましょう。

外国人にとっても、農業労働者として家族と離れて異国の地で働くよりも、自国で家族と暮らしながら農作業をして日本に作物を輸出した方が遥かに幸せでしょう。やはり外国人の単純労働者は受け入れるべきではないのです。

本稿は、以上ですが、筆者が外国人労働者の受け入れに反対である詳しい理由については『外国人労働者の受け入れで、企業は幸せだが日本人労働者は不幸に』をご覧いただければ幸いです。

なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。

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塚崎 公義