夫婦間の「稼ぎが少ない方が家事をするべき」理論がおかしい理由

先週からあるツイートが話題になっています。それは「共働きになったら自分と同等に家事ができるようにと夫にお願いしたところ、『同じくらい稼ぐならね』と言われた」という内容。ツイート主は現在妊娠中の専業主婦で、旦那さんの仕事の都合で退職をしたという経緯があるそうです。そんな背景があるにも関わらず旦那さんからこのような返答がきてショックを受けたといいます。

既婚、独身を問わず、「妻が俺に家事をしろと言うなら俺と同じくらい稼ぐべきだ」と考える男性はいるのかもしれません。稼ぎが少ない方が家事の負担が大きいのは当然だという考え方です。しかし、そもそも専業主婦だろうと会社勤めでバリバリ働いていようと、夫婦で家事負担と収入を天秤にかけることには疑問を感じます。

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家事の大変さと仕事の大変さは同じもの?

「家事をしろと言うなら同じくらい稼ぐべきだ」という考えには、「こっちは仕事で大変なんだから、自分ができない分の家事はやってほしい」という思いがあるでしょう。しかし、家事と仕事を同じ尺度で測ることはできるでしょうか。

仕事は社会や人との繋がり、成果や実績に応じた他者からの評価、労働の対価を得る喜び、自分自身のやりがいなど、かける労力と時間以上のものを得ることができると言えます。一方、核家族の家事は家の中で1人、掃除や洗濯、料理を無給でこなさなければなりません。

もちろんやりがいや達成感を感じる人はいると思いますが、仕事と同じものを得ることはかなり難しいでしょう。家事の大変さは仕事の大変さとは全く別の種類のものなので、家事負担と収入を関連付けるのは無理があるのではないでしょうか。

「家事に費やす時間」をどう考えるか

では、「仕事で忙しいので家事をやっている時間がない」という考えはどうでしょう。仮に低収入だけれど仕事が忙しくて時間が全くない人と、高収入だけど仕事に余裕があって時間がたっぷりある人の夫婦がいた場合、前者が家事をしなくてはいけないことになってしまいます。

家事を負担してもらうということは相手の時間を使うということでもあります。家事をするかどうかを収入の多い少ないだけで決めるのは、そうした家事の持つ時間的制約を考えていないのではないでしょうか。

男女が同じように稼げない状況も

昨今問題になっている医学部の入試における女子差別問題を見てわかるように、男女が同じように進学や就労の機会を与えられているにも関わらず「女子だから」という理由による制限があったり、「結婚や妊娠ですぐ辞めるかもしれないから」という理由で年収の高い役職に就きづらい現状があります。また、同じ仕事をしているのに男女で賃金格差があることも少なくありません。

そうした男女のさまざまな格差があるにも関わらず、「家事をしてほしいなら自分と同じくらい稼げ」という理屈は、女性にとって酷なものです。もちろん個々の能力に見合った収入を得ている人も多いですが、こうした日本社会の現状も無視できないのではないでしょうか。

家事は収入に関係なく、できる方ができる時に

夫婦共働きが当たり前となっているにも関わらず、相変わらず家事負担にまつわる夫婦の論争は絶えません。「主婦の家事労働を年収計算するといくらか」といった議論もありますが、家事はあまりにも個々人の生活に密着し、個別のシチュエーションで変化するものであるため数値化はしにくいものです。

専業主婦世帯だろうと夫婦共働き世帯だろうと、「夫婦のどちらかが稼がなくてはいけない」「どちらかが家事をしなくてはいけない」と決めた役割をこなすのではなく、「家事は相手の状況を思いやってできる方ができる時に行う」ということでしかこの論争は解決しないでしょう。

秋山 悠紀

ニュースレター

秋山 悠紀

早稲田大学文化構想学部出身。女子高でサッカー部、フリーター、演劇活動、編集プロダクションなどを経て独立。
子育てへの不安から1年半の保育園勤務の後、第一子を出産。
現在、長男を育てながら女性の生き方、子育て、ジェンダー、社会、旅、ドラマ、映画について執筆中。