自由民主党の杉田水脈(みお)議員は、7月18日発売の「新潮45」2018年8月号に「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文章を寄稿しました。その中で、杉田議員は、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と持論を展開しています。が、それがインターネットを中心にまたたく間に炎上の様相を呈しています。

この寄稿文を受けて、自民党の二階俊博幹事長は、「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」と問題視しない意向を明らかにしましたが、一方でネット上では様々な白熱した議論が沸き起こりました。では、どのような議論が展開されているのでしょうか。現状を少しまとめてみたいと思います。

「LGBT=生産性なし」という考えに対する批判

まず、LGBTという性的嗜好によって人の生産性を判断するのはおかしい、というものです。

松井一郎大阪府知事は、7月23日にTwitter上で、朝日新聞が報道した杉田議員の記事を引用し「オカマもゲイも納税者だから生産はしてるでしょ」と投稿しました。しかし、この投稿に対しては、「生産性(納税)で人間を区別するのが当然であるかのようだ」という批判や疑問のコメントが数多く寄せられました。それを受け、松井知事は、翌24日には投稿を削除し、「昨日のツイートに不適切な表現がありましたので、謝罪して訂正致します。性的マイノリティの皆さんも日本社会の中で様々な生産に携わっています」と謝罪しました。

同じく7月24日、カンニング竹山さんは、「子供を産む能力=生産性」とする考えに批判的な意見をTwitterに投稿しています。竹山さんは、子供がいない自分の家庭を引き合いに、「子供がいないから俺はあのおばちゃんに言わせると生産性がない国民になる。それならば妻以外の人とバンバン子供を作れば俺は生産性がある国民と言う事になるのか。おばちゃん、妻を説得しに来て」と疑問を投げかけていました。

そもそも人間の価値を生産性で測ることに対する疑問

次に、特定の人に対して「生産性がない」とみなすことに対する疑問も見受けられました。

自民党の武井俊輔議員は、7月19日にTwitterに「一部の特殊な犯罪者やテロリストを除けば、生産性のない人間などいません。劣情を煽るのは政治ではなくて単なるヘイト。」と投稿しています。また、武井議員はハフポストの取材に対し、「ネット上を見ていても、このような考えを少なからず称賛する意見があり、これは危ないと思った。自民党にも多様な意見があることを知ってもらいたかった。できるだけ大きな網を張って、そこから漏れる人がいないように政策を考えていくのが保守だと思う」と、投稿の経緯についてコメントしています。

また、東京都議会議員のおときた駿さんは、「人間の価値を『生産性』で図ることほど差別的で、愚かな態度はありません」と前置きしたうえで、「政治家」という職業の生産性について言及しています。政治家の第一の職務は、「税金という原資を再配分することで貧富の差などを調整し、社会を安定させることで生産性を高めていくこと」だといいます。したがって、「人に対して『生産性』によって序列をつけて『再配分』から排除することは、政治家の自己存在の否定であり、職責の放棄であり、決してあってはならないことだ」と、杉田議員の生産性について問い直すような議論を展開していました。

議論の加熱に対する批判も……

杉田議員の意見に対する議論が沸き起こる中で、こうした炎上の仕方に対する批判も起こっています。

スマイリーキクチさんは、杉田議員が殺害予告を受けて警察に被害届を提出したというTwitterでの発言を引用し、次のような批判的な意見を投稿していました。「あんな発言をすれば批判されることぐらい予見できた。注目を集めるために意図的に過激な発言をする。いたずらに人の感情を煽っておいて、次は殺害予告をされた悲劇のヒロインに変貌する。本気で脅迫に苦しんでいる人がミソクソ一緒にされてしまう。この人の遊びで犯罪者が生産されて警察官が疲弊する」

また、上武大学の田中秀臣教授は、杉田議員の言論の機会まで奪おうとする、現在の議論のあり方に対して批判する記事を執筆しています。田中教授は、19世紀の啓蒙思想家、ジョン・スチュアート・ミルの著作『自由論』における、「規制されることのない言論の場こそ人々の満足(効用)を増加することができる」という主張を引き合いに出し、「杉田氏の発言について、筆者は賛同しかねるものが多い。だからといって、雑誌やメディアで杉田氏の発言の機会を奪うべきだとは、みじんも思わない」「ましてや、杉田氏を脅迫するなどもってのほかである。そのような脅迫の表明は、全く言論に値しない単なる犯罪行為である」と述べています。

「想像力」を持って、発言を

議論の盛り上がりからもわかるように、杉田議員の寄稿文は、賛成であれ反対であれ、多くの人の感情を掻き立てるものでした。しかし、感情に身を任せて、過激な批判を行ったり、ましてや殺害予告などの脅迫文を投稿したりすれば、自分の主張が認められるどころか、自身の社会的地位を失いかねません。

総じて、自分の意見を発信する際には、その発言を見た人がどのように受け取るのか、あらゆる立場の人のことを考える「想像力」が必要だと言えます。

こうして杉田議員の一連の言動とその波紋を整理すると、今回の件は、ネット上で「本来はチラシの裏に書いてりゃいい程度の話」といった批判もあるように、冷静に見ると議論の舞台に上げることもためらわれる稚拙なもののようにも見えますが、問題の一つは、これが国会議員というそれなりに影響力のある立場の人の発言であることです。また、もう一つの問題として、発端となったのが生の発言ではなく、一定の部数を持ち、編集者のチェックを経たはずの雑誌に掲載された論文であることも見逃せない点でしょう。

一定の影響力のある立場・メディアであるからこそ、「想像力」を持つことがより必要だと言えますが、この波紋はしばらく続くかもしれません。

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