劇的な試合を多数生んだW杯ロシア大会を終え、寝不足の日々から解放された方も多いのではないでしょうか。

日本代表が、8強に迫るも惜しくも敗れたことでしきりと「世界の壁」という言葉が用いられましたが、その壁は、もしかしたらいくつもの材料が混ざり合ってできた「合金」のようなものなのかもしれません。

そのうちの1つの要素となる日本における幼少期~学童期の子どもが置かれたサッカー環境について探っていきましょう。

1. 命令で子どもをコントロールする指導者

サッカー指導者の池上正さんは、『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(小学館)の中で、「日本がなかなか越えられない世界との壁は、すでに6歳の子の前に立ちはだかっている」と述べています。

同著では、少年サッカーの現場において、指導者が指示命令を出しすぎて子どもに考えさせたり、気づかせたりする機会を奪うような指導法が横行している点が指摘されていました。

さらに、指導者だけでなく、親までもが子どもを勝たせようと躍起になり、負けたときの原因を精神論に落とし込んだり、子どものやる気をコントロールしようとすることで、「楽しいサッカー」が「やらされるサッカー」に変わっていく点もあぶりだされています。

高校サッカーで「伝説の名将」と呼ばれた井田勝通さんもまた、『静学スタイル 独創力を引き出す情熱的指導術』の中で、日本の子どもたちが指導者から「正解」を与えられすぎることで、独創性を伸ばすチャンスが失われ、青年期の伸びしろが少なくなってしまう点を指摘していました。

2. 制限の多い遊び場

また、もう1つの問題点は、日本の子どもたちは大人の目から自由になってサッカーを楽しむチャンスが少ない点です。

今回の大会では、「ダイブ」と呼ばれる大げさな転倒行為で評価を下げてしまったブラジル代表のネイマール選手ですが、室内、ビーチ、ストリートと、様々な場所でのサッカー経験を通じて培われた、遊び心あふれるプレーが国内外のファンを魅了してきたのは変えがたい事実。

児童向けのノンフィクション『ネイマール』(ポプラ社)では、父親がまだ幼いネイマールのために庭に手作りの芝生のコートを作るシーンがあります。芝が生えて間もなく、20人の友だちが集まって6時間ぶっ通しで遊び、あっという間に手塩にかけた芝がダメになるというシーンがありました。ところが、彼の父親は怒るどころか喜び、「心配するな、思い切り遊べ」と言います。

ひるがえって日本では、「遊ぶためのサッカー」を思いきりできる場所はなかなかありません。練習の時間でもないのに年代を超えて20人の子どもが思い切りサッカーで遊ぶ場所を探すのは至難の業です。

第一生命のレポート「子どもの外遊び空間と地域の住環境」によれば、「公園」は「多い」「非常に多い」と回答した母親の割合が57.1%いたのに対し、「公園以外の空間」が「多い」「非常に多い」と回答した割合は、わずか14.8%に過ぎませんでした。

残念ながら、子どもが主に遊ぶ公園には様々な制約があり、ボール遊びを禁止するところがほとんど。つまり、少しだけ大人の目から離れて、ストリートや空地などでサッカーボールを蹴る習慣を身に着けるのが難しいということになります。

しかし、これは日本に限ったことではなく、イングランドの記者もまた、自国の子どもたちが「放課後、子供が公園にサッカーをしに行ったり、遅くまで外でボールを蹴って遊んだりすることを許さない親が増えた」と、憂いています。

3. サッカーに投影する「ナショナリズム」