わずか3カ月間で史上初の米朝首脳会談が実現

史上初の米朝首脳会談が大きな波乱なく終了しました。振り返ってみると、今年3月上旬に金正恩(キム・ジョンウン)委員長の対話希望をトランプ大統領が即断受諾して始まったわけですが、会談日程の決定後も、トランプ大統領による突如の中止発言など、紆余曲折があったのはご存じの通りです。

それでも、結果的には、当初の予定通りに歴史的な首脳会談が実現しました。

米国と北朝鮮の国家元首が会談することは、つい最近まで世界中で最も実現の可能性が低い首脳会談だったと考えられます。それがわずか3カ月間で実現し、さらに、当初は難しいと見られていた共同声明文への署名にまで至ったわけですから、想像を超えるスピード感と言っていいでしょう。

首脳会談の成果に対する評価は分かれる

一方で、今回の首脳会談の成果に対しては評価が分かれていることも事実です。

確かに、共同宣言に明記されていた「朝鮮半島の完全な非核化」については、その時期や検証方法などは一切触れられていないばかりか、北朝鮮は「取り組む」という表現に止まっています。完全な非核化へのプロセスはこれから始まる見込みとはいうものの、先行きは前途多難と感じずにはいられません。

「朝鮮半島の完全な非核化」実現で日本の負担増加へ

しかし、兎にも角にも、約3カ月前までは世界中のほとんどの人が考えられなかった米朝首脳会談が実現しました。

発表された共同宣言や、会談終了後のトランプ大統領の記者会見を好意的に受け取れば、「朝鮮半島の完全な非核化」が実現するという前提の下で、今後は北朝鮮に対する経済支援も開始される可能性が高いと見られます。

これは日本にとっても無関係ではなく、それどころか、直接・間接を含めて大きな資金・経済負担を背負う懸念もあります。

トランプ大統領「韓国と日本が大いに助けてくれる」

トランプ大統領は首脳会談後の記者会見で、北朝鮮の完全非核化の費用に関する質問に対して「韓国と日本が大いに助けてくれる」と明言しました。少なからず驚いた人も多かったでしょう。現時点では「完全非核化の費用」がどこまでの範囲を示すのか不明ですが、

  • 非核化の見返りである経済支援の一部または相当部分
  • 在韓米軍の撤退または大幅縮小に伴う費用負担

と考えるのが妥当ではないでしょうか。

日本政府は難しい対応を迫られる可能性高い

まず、経済支援の負担に関しては、拉致問題が解決しない時点で行うことは難しいと思われる一方で、米国からの強い要請があれば無下に拒否もできません。国民感情と国際世論のギャップにより、日本政府は非常に難しい対応を迫られます。

また、今回の共同宣言に「朝鮮半島の完全な非核化」が明記された以上、在韓米軍が撤退する可能性は十分にあると考えられます。その際、撤退費用だけでなく、その一部が日本国内の米軍基地に合流することもあり得るでしょう。この場合も、日本政府は非常に難しい対応を迫られると考えられます。

「朝鮮半島の完全な非核化」は、日本にとって大きな経済負担につながる懸念が十分にあると言えましょう。

“ベルリンの壁崩壊”からわずか1年で実現した東西ドイツ統一

それだけではありません。あくまでも「朝鮮半島の完全な非核化」が実現した場合ですが、どのような形かわかりませんが、韓国と北朝鮮が統一国家となる可能性もあります。“韓国と北朝鮮が統一?まさか、そんなことはないだろう”と笑う人が多いかもしれません。

しかし、29年前に“ベルリンの壁崩壊”が起きた当時(1989年)、東西ドイツの統一は早くても10年後くらいだろうという見方が圧倒的主流でした。それがほんの1年後の1990年には統一が実現したのです。

猛烈なスピード感で米朝首脳会談が実現した今、ドイツ統一のような事象が起きても何ら不思議でありません。“まさか”と思っていたことが、あっという間に実現するケースは少なくないのです。

ドイツ統一後に起きた深刻な経済危機が朝鮮半島にも起きる可能性

ドイツ統一後、経済苦境に喘いでいた東ドイツの影響で、その後の統一ドイツ経済が深刻な不振に陥った事実はよく知られているところです。統一ドイツの経済不振が、その後の欧州通貨(ユーロ)統合の遅れの一因となったとも言われます。

仮に、韓国(人口約5,100万人)と北朝鮮(同2,500万人)が統一された場合、危機的な経済情勢にあると言われている北朝鮮の影響で、統一朝鮮の経済(注:事実上は韓国経済)が大きく落ち込む可能性は高いと言えましょう。

そして、隣の朝鮮半島に深刻な経済危機が発生した場合、日本が無傷で済むとは考えられません。米国や中国を始めとした国際世論の圧力により、相応の経済支援実施を余儀なくされるケースも想定されます。。

こうして考えると、歴史的な米朝首脳会談の実現は、日本にとって途方もない苦難の始まりとも考えることができます。筆者の有する懸念が杞憂に終わることを願ってやみません。

LIMO編集部