大学生は大人として扱われるから、自由と責任を自覚すべきだ、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。

大学生は大人として扱われる

入学、おめでとう。これから4年間、大学生としての生活を大いに楽しんでくれたまえ。ただ、その前に、ぜひ話しておきたいことがある。それは、大学生は大人として扱われる、ということだ。

法律上の大人は、たとえば選挙権は18歳、飲酒は20歳といった具合に年齢で区切られているが、世の中では「高校生は子供、大学生は大人」として扱われる。では、大人として扱われるというのは、どういうことなのだろう。

子供は、自由がないが、責任もない。大人は、自由があるが、責任もある。高校生は、授業をサボる自由がないから、サボると叱られる。しかし、自分のしたことに責任を問われることはないから、授業をサボっても卒業できる(というより、卒業できなくなるまで授業をサボり続ける自由がない)。

一方で、大学生は講義をサボる自由がある。講義をサボっても、誰も叱ってくれない。そのかわり、サボったせいで単位を落として卒業できなくなっても、自己責任なので、誰も同情してくれない。「バカだな」と言われるだけである。

高校時代、授業をサボると叱られた。厳しく叱る先生はコワい先生、優しく叱る先生は優しい先生だった。大学でも、講義をサボると叱ってくれる先生が稀にいる。そういう先生は優しい先生だ。普通の先生は講義をサボっても叱ってくれない。そういう先生は冷たい先生だ。気をつけたまえ。

3年後、諸君が就活をサボっても、誰も叱ってくれないだろうが、その結果就職できずに卒業して悲惨な人生を歩むことになっても、誰も同情してくれないので、よく覚えておくように。

大学では物事を論理的に考える訓練をしよう

高校時代の勉強は、覚えることが中心だったはずだ。数学などは考える問題も出ただろうが、正解のある問題だったはずだ。大学でも、覚えることもあるし、正解のある問題も解かされるが、主に学ぶのは自分の頭で考えることである。

殺人は悪いことだ。では、自分を殺そうとしている凶悪犯を殺して自分の身を守ることは悪いことか? 悪いと思う人も、悪くないと思う人もいるだろうが、実際の法律はどう決まっているのだろう? そして、そう決まったのはなぜだろう? 法律を変えるべきではないのか?

高齢者に年金を支払うと政府の金が足りないとして、払う年金を減らすべきか消費税を上げるべきか? 高齢者としては、もらえる年金が減るのは嫌だから、消費税を上げてほしいと思うだろう。若者は、消費税を上げるのは嫌だから高齢者に払う年金を減らしてほしいと思うだろう。では、日本政府はどうすべきか?

こうした問題について、「自分は、◯◯という理由でこう思う。反対の立場の人々は△△と言っているが、××ということを考えると自分の意見の方が正しいと考えるべきだ」ということをしっかり主張し、相手を納得させるような訓練をするのが大学だ。

そういう訓練ができていると、会社に入ってからの会議の時に良い発言ができる。会社の役に立てる人間に育つということだ。採用面接の時に、「高卒より大卒の方が給料が高いが、それは大卒の学生はこういう訓練ができていると思うからだ。君はできているか?」と聞かれても困らないように、しっかり勉強しよう。

自由だから、非公式情報が重要

大学に入ると、最初の自由は、どの科目を受講するかを決めることだ。必修単位は別として、選択科目を選ぶことができる。そこで大事なことは、どの講義が面白くて役立つか、という情報だ。本音では、どの先生が仏や神で、どの先生が鬼や撃墜王か、ということも知りたいだろう(笑)。

次に知りたいのは、どこの食堂が安くて美味しいか、ということかもしれない。どのサークルが楽しいか、ということかもしれない。就職活動の時期になれば、どの企業がブラックか、どの企業でどういうことを聞かれたか、といった情報がほしくなるだろう。

様々な選択肢の中から選ぶ自由を得ると、選ぶための判断材料としての情報がほしくなる。しかし、そうした情報は、容易には手に入らない。大学の公式な資料に「この講義はつまらないし、役にも立たない」と書いてあったり、採用パンフレットに「我が社はブラック企業です」と書いてあったりするはずはなかろう(笑)。