外資系企業の人員削減のやり方は残酷です。クビを宣告するのも嫌な仕事でしょうが、突然クビを言われるほうも”なぜ自分が?”というトラウマを抱えることになります。今回はそうした体験をした人に話を聞きました。

はじめに

A氏は国内の大学を卒業後、日系の金融機関を経て、外資系金融機関に勤めました。A氏が所属した部署では海外で教育を受けていない従業員のほうがめずらしく、チーム内の多くは外国人か海外で大学を卒業したバイリンガルという国際色豊かなメンバーで構成されていました。

A氏は米国の大学院に合格できる程度の語学力はありましたが、ネイティブスピーカーではないため、初めは社内のコミュニケーションに苦労したようです。

ただ、持ち前の好奇心の旺盛さ、コミュニケーション能力の高さや仕事での実績を評価され、先輩を何人も追い抜き、周りが驚くほどのペースで出世していきました。途中、本社での勤務をオファーされるなど、会社からは大事に扱われていたようです。ところが、勤続10年を過ぎた頃、事件が起こります。

前日まで出張をしていたのに、なぜ翌日リストラか

A氏はどのようにリストラを宣告されたのでしょうか。当時の様子を聞きました。

「リストラ宣告の前日まで大阪に出張し、当日、東京にあるオフィスに出勤しました。午前8時30分頃だったように思います。アシスタントから、私の上司が別のフロアにある会議室に来るよう指示していると連絡してきました。そのフロアは私が普段使用するフロアではないので何かなと思ったのですが、メモ用紙とペンを持って会議室に向かいました」

指定された会議室に行くとどうだったのでしょうか。

「覚えているのは、なんだか暗い感じの照明の部屋だったということです。嫌な思い出のせいでしょうかね。私が部屋に入ると、私の上司(外国人)、上司のサポート役(日本人)、人事部スタッフ(日本人・帰国子女)の3人が重々しい雰囲気で座っていました。私が席に着くと、外国人の上司が英語で当時私が進めていたプロジェクトの中止とその役から解くという話を始めました。この時点で、ああリストラかと思いました」

リストラ宣告での話の内容は

会社側とA氏との話し合いはどのように進んでいったのでしょうか。