先月28日、筑波大学がマレーシアの名門マラヤ大学の敷地内に分校を開設(2022年9月)する方針を固めたとのニュースがありました。これはマレーシア人学生向け「リベラルアーツ学部(注)」ということで、講義は日本語で行われ、定員は1学年160名の予定だそうです。

注:リベラル・アーツという言葉は、ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っており、自由人として生きるための学問とされる。

日本・マレーシア政府からの正式発表は今月とのことですが、もし実現すれば、日本の大学が海外で学位を授与する分校を設置する初めてのケースとなります。今回は、その意義と期待される役割について考えてみたいと思います。

なぜマレーシアか?

マレーシアでは、長年、日本人にも有名なマハティール首相が「ルックイースト(東方政策)」を掲げており、マレーシアの若者に日本の価値観や勤勉さなどを学ばせたいと日本の大学を誘致していました。日本の経済力が衰退してジャパンブランドも輝きを失っている中、日本にとって親日国マレーシアは一筋の希望です。

これまで長年にわたり、ルックイースト事業や円借款による高等教育借款事業(HELP)によって大量のマレーシア人留学生が日本の工学系の大学・大学院プログラムに派遣され、その卒業生の多くが日系企業に就職していると実感します。

また、近年、マレーシア日本国際工科院(MJIIT)やマレーシア工科大学では、現地日系企業へのインターンシップや企業講師による授業などが行われていますが、それは現地日系企業の人材獲得にかなり貢献していると思います。

なお、筑波大学は、2013年12月より、マレーシア日本国際工科院(MJIIT)内にクアラルンプール事務所を設置し、すでに日本・マレーシアの教員や学生の相互交流を行っています。つまり、全くのゼロからのスタートというわけではなく、ある程度の下地はあるというわけです。

分校であることのメリット

「分校」という形態は、現地で日本の大学として認識されますので、マレーシアにおける日本のプレゼンスを高めることが期待できます。マレーシア現地日系企業とうまく連携し、教育プログラムを現地日系企業のニーズを満たすようなものにできれば、日系企業の人材獲得への貢献は大きなものとなるでしょう。

また、日本に関心を持つマレーシアの学生にとっては、日本への渡航や生活費がかからないので安いコストで日本の大学の学位を取得できるという利点もあります。

諸外国の大学の海外展開

海外で学位を授与する「分校」を設置するのは、今回、日本の大学としては初めてとなりますが、これまでの諸外国の海外展開の経緯を振り返ると、大きな潮流が見えてきます。

まず、1980年代後半以降、ダブルディグリープログラムなど国境を越える高等教育の動きがありました。さらに、1990年代後半から外国大学の母国のキャンパスに一度も行くことなくその外国大学の学位が取得できるプログラムが登場しました。フランチャイズプログラム、ブランチキャンパス、バーチャル大学(オンライン課程)などです。

日本の大学の海外進出については、一部、帝京大学などの私立大学が日本人学生の短期留学先として海外キャンパスを作っている事例はありますが、目立った実績がないというのが現実のようです。しかし、今回の筑波大学のマレーシア進出は、日本の大学の学位を授与する「分校」であるという点で画期的な第一歩と言えるかもしれません。

マレーシアにある外国の大学

マレーシア政府は2020年までに20万人の留学生を受け入れてアジア地域の教育ハブとなるという目標を掲げています。

その一環として、シンガポールとの国境に近いジョホールバルにイスカンダル・教育シティ(Iskandar EduCity)を、また、クアラルンプール近郊にはクアラルンプール・教育シティ(KLEC)を建設し、積極的に海外大学のブランチキャンパスを誘致しています。

現在、オーストラリアのモナシュ大学マレーシア校(セランゴール)、英国ノッティンガム大学マレーシア校(クアラルンプール)、中国の廈門大学マレーシア校(セパン)等、合計10の海外大学ブランチキャンパスが運営されています。

また、マレーシア国民大学(UKM)とドイツのデュースブルク・エッセン大学(UDE)のダブルディグリープログラムなど、各種教育プログラムも多数あります。

厳しい財政事情という逆風

今回、日本政府は教員の人件費を手当てするなど、通常の国立大運営費交付金とは別に筑波大学の海外進出を財政面で当面支援する方針だそうです。

新キャンパスは「リベラルアーツ学部」ということで、国際関係や防災、情報、生命科学などさまざまな学問分野の問題解決方式について日本語で教えるそうですが、「マレーシアとの友好関係強化」、「日本の教育文化の発信力強化につなげる」などといった漠然とした政策目標を掲げても、世間からの批判は免れないかもしれません。

特に、今、日本では大学受験における英語民間試験の導入延期が話題になっていますが、中央と地方の格差や経済格差にまつわる問題は放置され、日本の高校生の英語試験受験料すら補助してあげられないのに、なぜ貴重な国家予算を使ってマレーシアの人材教育を支援するのか、という厳しい意見も出かねません。

ちなみに、資源のない日本が先進国に踏みとどまるには教育への投資しかないと思いますが、教育機関にかかる公的支出のGDP比は2.9%(2018年度)で、OECD加盟国34か国中、最下位です。

現地日系企業の大学に対する期待とは

マレーシアは人件費の水準が周辺諸国と比べ高くなっており、現地日系企業1,385社(製造業691社、非製造業681社、その他13社、2018年9月時点JETRO調べ)では、製造型から研究開発型へ、経営の現地化(日本人駐在員の削減など)という流れが続いています。

製造現場では、たとえば、多くの現地従業員は高卒でスキルを身につけるのに3年ほどかかりますが、一人前になると離職するといった事情もあり、できれば即戦力が欲しいところです。

また、多くの現地日系企業は業歴が長くなっていますので、社内の作業マニュアル(英語)をベースに仕事が進められるので、今さら大学に日本語教育や日本的なビジネスの価値観、文化等を期待するようなことは、さほどありません。

不足する人材層として話題になるのは、研究開発人材、中堅エンジニア、現場型エンジニア、機械・電気系学部の卒業生などです。中堅幹部候補などの人材獲得難に関しては、日系企業側の処遇・給与水準の比較優位がないという要因が大きいのですが…。

「リベラルアーツ学部」を否定するわけではありませんが、仮に政策目標の一つとして「現地日系企業への助けとなること」を加えるとすれば、日本の工業高等専門学校の現地進出や日本的な高専人材の安定供給が喜ばれるのではないか、というのが一つの現場感覚です。

いずれにしても、マレーシアを含め日系企業が集中するアジアの国・都市においては、現地人材獲得ニーズ、日本の大学に対する期待感は少なからずあると感じます。

もはやジャパンブランドが通用しなくなった状況ではありますが、日本の大学・高専は、今後、日本への外国人留学生数(2018年度、約30万人)が伸び悩むようなら、自らの海外展開を改めて検討せざるを得なくなるかもしれません。

ただし、アジアでも欧米の大学が凌ぎを削る状況であること、日本政府の厳しい財政事情などを考慮すれば、安易な海外進出や政策目標の不明瞭な予算措置は危険であり、大学のブランドマネジメント、差別化といったマーケティング戦略が極めて重要となるでしょう。

大場 由幸