自分は気が利くほうだし妻に聞かないでも動ける、と思っている夫たち。しかし、夫へ感謝の気持ちを述べている妻たちでも、実は小さなストレスを抱えている可能性があります。

・とにかく手が足りないときは褒めて持ち上げてお願いしている。しかし、ゲームを中断されて不機嫌な顔で子供と接しているのを見ると、じゃあもういいと思ってしまいます。
・夫の皿洗いは何度言っても直りません。「予洗いか!」と本人にいいたいのをグッとこらえ、見えないところで再度洗いなおしているので、二度手間です。
・ごみを捨ててといったら本当に捨てるだけ。次の袋を補充しないから、そこに子供がべたべたなごみを入れて悲惨なことに。「ごみを捨てて袋をかけてね」まで言わない私が悪いのでしょうか。

頑張っている夫に対してひどい!と思うかもしれませんが、夫はどこかで単発の要因として作業している節があります。子供の機嫌が悪くなったらそのフォローをするのは妻だし、ごみ箱が汚れたら洗うのも妻です。妻は地続きで家事を行っているため「次使うときに不便でない状態まで行う」ことを前提にしているので、夫のその場だけこなす気持ちに対し、がっかりしてしまうようです。

まとめ

妻を想い・妻を笑顔にさせたいという気持ちから、手伝ってくれたり、言葉をかけてくれたりする夫たち。しかし、それが妻の地雷を多々踏んでしまうという残念なすれ違いが、多くの家庭で起こっているようです。

夫の気持ちが妻たちに全く伝わってくれていないかというと、そういうわけではありません。妻はどこまでいっても「家事の当事者」です。家事・育児・仕事を効率的に済ませたい、そう願っているからこそ、たまに現れるゲストに振り回されたくないのです。妻が願っていること、それは同じく当事者意識を持つこと。続く日々を快適に過ごすためには、一過性の提案ではなく二人が本当に気持ちよく過ごせるには何が必要か、一度話し合ってみるのもいいかもしれません。

LIMO編集部