平成が終わり、いよいよ5月1日から令和の時代が始まりました。平成元年生まれで平成の世界だけを生きてきた筆者は、生まれて初めて元号が変わる体験をしています。

筆者と同じ平成の前半に生まれた人たちは、一般的にはゆとり世代に分類されます。小学校や中学校におけるゆとり教育では、答えが決まっている科目の勉強と同じくらい、自分たちで自由に学びたい課題を見つけ、自分たちで解決する総合学習が重視されました。

ゆとり世代は、物心ついた時から大人たちに“個性”を求められ、「自分らしさとは何か」について絶えず考えさせられてきた世代とも言えるのです。

「自分らしさ」=ただ規範に反発することだと思っていた

筆者は平成元年に三姉妹の三女として生まれました。幼い時から、洋服も持ち物も長女と次女のおさがりがほとんどで、自分で好きなものを選択するという体験はあまりしてきませんでした。

そのため、長女と次女が好きなことや興味のあることに反発し、二人とは違う、「自分だけはこれが好き」「私だけが持っているもの」を常に追い求めていました。「二人とかぶらないものは総じて良い」という、歪んだ自己流のルールさえ持っていた気がします。

また思春期の間は女子高に通っていたこともあり、“女性らしさ””女の子っぽく“といったジェンダー規範に強く反発するようになりました。セーラー服を着ていながら剃り込むほど髪の毛を短くし、部活ではサッカー部に入り、他校の男子とボールを競り合う毎日。

そして、学校で常に言われ続けていた「ナンバー1よりオンリー1」。自分らしさ、個性、オリジナリティ、アイデンティティ…。幼い頃から姉たちやジェンダー規範に反発していた筆者は、オンリー1とは「すでに存在する“らしさ”や規範に反発すること」だと思って生きてきました。

女性らしさ、母親らしさ、妻らしさなどの“らしさ”から問答無用で脱却することこそが、自分探しの答えだと思っていたのです。

妻になり、母になり、規範を新たな面で捉えられるように

そんな筆者も結婚し、子どもを出産するとガチガチの「母」規範にどっぷり浸かることになります。夫の仕事関係の人に会えば「〇〇さんの奥さん」と呼ばれ、保育園や小児科では「〇〇くんママ」と呼ばれ…。家でも外でも、世間一般的に想像されるであろう“母らしい”振る舞いや表情を無意識でするようになっていました。