「ブラック校則」という言葉をご存じですか? 学校の秩序や規律を守るための校則ですが、その中でも、あまりに理不尽であったり意味不明だったりする校則を、「ブラック校則」として疑問視する声が大きくなっています。

厳しすぎる校則への批判は、実は1980年代くらいからたびたび起こっています。特に、1990年に兵庫県神戸市の高校で起きた事件は、校則の是非に関して大きな議論を呼びました。これは、ある女子生徒が登校時、閉められかけた校門に駆け込み、遅刻取り締まりをおこなっていた教師がそれに気づかず校門を閉めようとしたために、女子生徒が頭部を門に挟まれ死亡した、という痛ましい事件でした。

では、現在では、どういった議論が起こっているのでしょうか?

「ブラック校則」とは?

いわゆる「ブラック校則」として挙げられるのは、たとえば、

「下着の色指定」
「女子のポニーテール禁止」
「ツーブロック禁止」
「部活動の強要」

など、合理性に欠けるばかばかしいものばかりです。中には、

「授業中のくしゃみは3回まで」
「夏休みに髪を切る場合は先生の許可が必要」
「男女が2m以上近づいてはならない」
「試験期間中はマフラーの持ち込みを禁止」

といった、意味がよくわからないものも見られます。ここまでくると、理不尽すぎて笑うしかありません。

黒染め強要は人権侵害だ

こうした理不尽な校則に対して、最近、抗議の声が広がり始めたのは、2017年10月に大阪府の公立高校に通う女子生徒が、学校側から「髪の黒染め」を強要されたとして、大阪府に損害賠償を求めた、という一件がきっかけにあります。女子生徒はもともと茶色い髪色であるにも関わらず、しつこく黒染めを強要され、出席を認められないなどの扱いにより最終的に不登校になってしまったといいます。

こうした黒染め強要などは、個人の尊厳を軽視したものと言えます。先の一件を経てNPO団体「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」が発足するなど、校則見直しの動きが強まっています。同団体が2018年3月に実施した調査では、

「3人に2人が中学時代、2人に1人が高校時代に『ブラック校則』を経験している」
「生まれつき茶髪の人で高校時代に黒染め指導を経験した割合は20%」
「10代の回答者のうち、6人に1人が中学時代に校則で下着の色を決められていた」

など、多くの人が「ブラック校則」の指導を受けたことがわかりました。また、服装や髪形にまつわるブラック校則は、昔からの伝統等ではなく、最近になってからより増えているということも指摘されています。

ブラック校則に対する声

こうしたブラック校則については、多くの人が、自らの実経験なども含め、ネット上でさまざまな意見を発信しています。たとえば、以下のようなものです。

「生理だったんで体育を休みにしたのに、代わりに校庭を走らせられた」
「爪検査で爪に白い部分があるとなくなるまで切らされた」
「雪降って電車止まるような寒い日でもコート禁止だった」
「単に教師が思考停止してるだけ」
「あまりにも厳しいと守らない人増えるよね」

一方で、主に校則について声を上げる人に対して、

「義務があるから権利があるってわかってる?」
「ある程度規制があったほうが自由度が広がる」
「ホントに無茶苦茶なのはなくすべきだけど、騒いでる連中の大半は気に入らない校則を『ブラック校則』って呼んでるだけ」
「規制をゆるくすると中学生は悪ノリして髪染め出すからブラック校則になるのは仕方がない」
「自由にしていいのは自律できる生徒が多い進学校だけ。底辺校で自由にしたら終わるだろ」

と指摘する意見もあるようです。

ブラック校則の裏にあるのは

ブラック校則の中でも特に身だしなみに関するものは、「スカートの丈」「髪色や髪型の指定」など、ある程度普及しているものも多くあり、一見すると校内の規律を保つためのもののようにも思えます。

しかし、それらはよく考えると、合理性や必要性がなかったり、偏ったジェンダー観や思い込みに基づいていたりするものも多いのではないでしょうか。

女子生徒の下着やスカート丈を「痴漢防止」「男子生徒の劣情をあおらないように」と指定するのは、性暴力の原因が女性の服装にあるという誤った認識の促進になってしまいますし、しばしば耳にする「白無地の下着」は白シャツなどで透けやすい色になるため、意味のある指定とは言えません。また、地毛が茶色の生徒に黒染めさせるというのは、「黒髪以外は不良、不真面目」といった思い込みがあるかのように思えます。

校則は時代に合わせて変わっていくべき

一方で、プロクター・アンド・ギャンブルジャパン株式会社によるアンケート調査では、現役教師200人のうち、92.5%が「時代に合わせて、校則も変わっていくべき」と回答しており、校則に関する意識は確かに変化してきていはいるようです。

学校という集団生活の場において、もちろんルールは必要です。ですが、校則という規律を保ち生徒を導くための手段が目的化し、行き過ぎている部分が見られるのが現状でしょう。「校則だから従わなくてはならない」という思考停止から抜け出し、どういったルールが必要なのか、いま一度、考え直すべき時に差し掛かっているのではないでしょうか。

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