この記事の読みどころ

30数年前の雑誌には、2輪車(オートバイ)の広告が満載されています。現在の雑誌ではほとんど見ることができません。

1982年の国内オートバイ市場は空前の329万台を記録しましたが、現在はその8分の1に縮小しています。当時は「HY戦争」と言われた乱売競争が行われていました。

「HY戦争」は、消費者を無視した安売り競争に未来がないことを私たちに教えてくれます。

30年以上前の雑誌にはオートバイの広告が満載

冒頭の写真は、1980年代前半の某男性向け雑誌に掲載されていた広告のページです。捨てよう捨てようと思いながら、何となく今までずっと持っていました。

この雑誌に載っている広告の大きな特徴は、2輪車(オートバイ)が非常に多いということです。自動車の広告もチラホラありますが、ごくわずかです。

しかし、最近の雑誌に掲載されている広告は自動車が圧倒的に多く、2輪車の広告など見た記憶がありません。30数年前に比べて、オートバイの人気が落ちたということなのでしょうか。

今から30数年前、国内オートバイ市場は最盛期を迎えていた

実は、冒頭写真の雑誌が発刊された1980年代前半、国内のオートバイ市場は最盛期を迎えており、1982年の国内市場は約329万台という記録的な需要に達しています。

昨年2014年の国内オートバイ市場は41万台強でしたから、今の8倍の市場規模を誇っていたことになります。ただ、これは逆に言うと、国内のオートバイ市場が30数年間で8分の1に縮小したことにほかなりません。

技術革新の著しいハイテク産業は別として、ここまで縮小した消費耐久財が他にあるでしょうか?

オートバイ市場が激減した理由とは?

オートバイ市場が縮小した背景には、軽自動車の普及、自転車の多様化(マウンテンバイク、電動自転車等)、ヘルメット装着の義務化を始めとする安全規制強化など、挙げ出したらキリがない多くの要因があります。

しかし、最大の理由の1つとして考えられるのが、当時起きた“超”乱売競争の影響です。この“超”乱売競争により、将来需要の先食いだけでなく、消費者の価格に対する不信感が強まったことを無視することはできません。

「HY戦争」はオートバイ市場で行われた“仁義なき戦い”

「HY戦争」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 「HY戦争」とは、1978~1993年にかけて国内2輪車市場で繰り広げられた、ホンダ(H)とヤマハ発動機(Y)による熾烈なシェア争いのことです。

当時、国内トップシェアを誇ったホンダ(7267)に対して、シェア2位のヤマハ発動機(7272)が安売り攻勢を仕掛けたのが発端と言われています。

特に、排気量50cc未満の原付一種(通称“原付バイク”)においては、正しく“仁義なき戦い”が行われていました。生きるか死ぬか、やられたらやり返せ、やられる前にやれ、という世界です。

この「HY戦争」を超える乱売合戦は、後にも先にも起きていないと言えましょう。

常軌を逸した安売り合戦、最後は「4台で10万円」も登場

具体的には、HY戦争のピーク時(1982年頃)、原付バイクが「3台で99,800円」「3台買うと1台おまけ付き」「購入者紹介で1台無料プレゼント」という、今では信じられない販売が行われていました。最後はついに「4台で10万円」も登場したのです。

ちなみに、当時の原付バイクの“定価”は平均7~10万円くらいです。「まさか、そんな馬鹿な」と信じられないかもしれませんが、50歳代以上の方なら「あー、そんなこともあったね」とよく覚えているはずです。

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出所:日本自動車工業会より筆者作成

HY戦争の結末は“勝者なき終戦“

こんな常軌を逸した販売競争が長続きするはずがありません。1983年、ホンダがヤマハ発動機を完膚無きまでに撃沈して終結します。

敗れたヤマハ発動機は、巨額の赤字を計上するなど深刻な経営危機を迎え、当時はまだ珍しかった大リストラ(大量の人員解雇)を余儀なくされたのです。

勝者のホンダも、その後は長きに渡って2輪車の在庫調整に苦しみました。“勝者なき終戦”というところだったのかもしれません。

消費者を無視した乱売競争に未来はない

そして、HY戦争後の国内オートバイ市場は、大型バイクなど一部のセグメントは堅調ですが、全体としては2度と回復することなく今日に至っています。HY戦争で行われた狂気染みた安売り合戦により、将来需要の先食いが行われ、価格に対する消費者の信頼を失ったのです。

消費者を無視した乱売競争の行く末には悲惨な結果しか残らないことを、30数年前の雑誌に載った広告を見ながら深く思い返しました。

LIMO編集部