母になって思うこと、それは「我が子を幸せにしたい。自分の命を捨ててでも、この子のことを守りたい」。でも、それを突き詰めてしまうと、「子どもを幸せにするためには、自分を犠牲にしなければ…」という結論に達してしまいがち。実際にそんな風に自分を追い詰めて、苦しんでいるママも多いような気がします。

果たして本当に子どもの幸せは、自己犠牲の上にしか成り立たないのでしょうか?

好きに振舞うことに罪悪感

毎日毎日休む間もなく子どものお世話。「あぁ、たまにはひとりでお茶したい。自然に目が覚めるまで好きなだけ眠りたい。映画を見たい、誰にも邪魔されずにドラマが見たい」なんて思うだけで実行には移せない、それが子育て。

だって、自分の好きなようにふるまってしまったら、子どもの面倒は誰が見るの…? そして周りにこう言われるに決まっている。

「そこまでして自分の時間が欲しいの? じゃあなんで子ども産んだの? 子どもがかわいそう」

子どもを幸せにするためなら、多少の苦労はいとわないし、子どもの笑顔を守るためならなんでもできる。だからといって、自分のしたいこと、夢、希望、すべてをあきらめたいとは思わない。でも、それを大声で言うのは憚られる。

なぜなら、まだまだ「子育てとは究極の自己犠牲である」という風に考えている人がたくさんいるからかもしれません。そして何より、自分自身がその考え方にとらわれているのではないでしょうか?

「自分の時間が欲しい」「何かひとつでいい、自分の望むことをやりたい」

そう思うのはいけないことではありません。だって、おむつを濡らしている子どもやお腹が空いたと泣きわめく子どもを無視してまで自分のしたいことを優先したい、と思っているわけではないでしょう?

きっと「自分のやりたいことはたくさんある。でも、今はどう考えてもそれができない状況だ。だから諦めざるを得ない」というのが正直な気持ち。なぜなら、子どもを誰かに預けてまで自分の時間を作るのに罪悪感を持っているから。そんなママは多いような気がします。

自己犠牲は美徳ではない