職場の空気は「上司」で決まると言っても過言ではありません。近年はパワハラやらモラハラやらで、上司にとっても大変な時代になりましたが、「上司が一方的に部下に命令して従わせる時代は、完全に終わった」と言えるでしょう。そんな時代、上司に試されるのは「人間力」です。とはいえ、部下への接し方から言葉のかけ方、フォローワーシップまで、理想は一体どこにあるのでしょうか?

『日本史に学ぶ一流の気くばり』の著者であり、歴史家・作家の加来耕三氏は、「日本史には、一流の上司がそろっています。今こそ彼らの人間力に学ぶべきでしょう」と言います。同書をもとに加来氏に解説してもらいました。

なぜ西郷はあれほど慕われたのか?

 理想の上司と言えば、幕末維新の英傑、西郷隆盛でしょう。西郷には、天性の上司気質、上に立つ条件が備わっていました。

 ・相手を立てるのがうまい
 ・人を絶対に見放さない
 ・人に仕事を任せるのが上手

 この三つは、いずれもデキる上司に求められる素養でしょう。そしてこれらの根底にあるものは、相手に対する敬意です。これは、薩摩藩の「郷中制度」によって育まれたものでもありました。

 薩摩では藩内を区割りして、その中の青少年でグループを作らせ、共に学ばせる制度を採用していました。グループでリーダーを選ぶ際、学問のよくできる優秀な人は、リーダーに選ばれませんでした。リーダーに必要な素養は、勇敢さや潔さ、卑怯なマネをしないことでした。弱い者イジメをしない、ケンカをしても終われば水に流す。度量の広い人間がリーダーとなり、その一人が西郷だったのです。

 西郷は二度、島流しに遭っています。二度目は死にかけてもいますが、そこから生還してきました。頭がいいだけのエリート上司とは、モノが違うのです。

長州藩・庄内藩への気くばり

 歴史を動かした薩長同盟も、西郷が長州藩に頭を下げて頼んだと伝えられています。当時の薩摩と長州は、つい最近まで諍い合っていたという関係であり、一方の長州藩は、1864年の禁門の変では薩摩藩に攻撃され、朝敵の汚名まで着せられています。「薩摩に対して頭を下げられるわけがないだろう」と西郷は自らへりくだったのです。

 また、最後まで新政府軍(官軍)に抵抗した庄内藩に対しても、西郷は丁寧に接するように、と部下の黒田清隆に指示し、藩士の魂である刀を取り上げず、自宅謹慎程度の処分で済ませました。周りが「再び反乱を起こしたら、どうするのですか?」と問うと、西郷は「また討つまでだ」と答えました。度量の広さに、周りは感服したそうです。 

 実際、のちに庄内藩主として新政府軍と戦った酒井忠篤は、数十人の家臣を連れて、鹿児島まで西郷に兵学の講義を受けに出向いています。さらに後年、西郷が明治政府に対して挙兵した西南戦争の際には、旧庄内藩士が西郷と最期を共にしています。西郷の言葉を集めた『南洲翁遺訓』を編纂し、全国に普及させたのも庄内藩士たちでした。

戦争では人間の「本性」がむき出しになる

 上司の力量が明らかになるのは、仕事を任せた部下が追い込まれた場面です。

 普段の言動は、いくらでも取り繕えます。人は誰しも「追い詰められたとき」こそ、本性が露わになるものです。ましてや自分の責任ではなく、部下が不祥事を引き起こしたとき──そこで慌てふためいたり、怒鳴り散らしたり、部下にすべての責任を転嫁したりする人物では、「一流」とはいえません。

 土壇場では、今までの人生で培ってきたすべてが出てしまいます。歴史上には、戦争という人間の本性がむき出しにならざるを得ない場面があります。予想外の奇襲を受けたり、敗色濃厚になったりしても、毅然とした態度を取れるかどうか。上司は常に試されるのです。

東郷平八郎が落ち込む部下にかけた言葉

 こうした土壇場で見事なリーダーシップを発揮したのが、薩摩士道でした。西郷隆盛だけではなく、大山巌、東郷平八郎といった薩摩隼人が、明治維新、日清戦争、日露戦争で見せたリーダーシップは本当に見事なものでした。

 たとえば日露戦争において、東郷平八郎率いる連合艦隊は、「無敵」と恐れられたロシアのバルチック艦隊を打ち破りました。しかし、開戦以来、連戦連勝だったわけではありません。旅順港閉塞作戦では、機雷で軍艦の三分の一を失いました。非常事態です。その際に、沈められた軍艦の責任者が二人、東郷平八郎の部屋へ謝罪に訪れます。読者の皆さんなら、どう対処するでしょうか。

 東郷には二つの選択肢があったでしょう。感情を押し殺して「気にするな。次に奮戦せよ」と言うか。「とんでもないバカをやってくれたな」と激怒するか。でも、東郷はどちらの態度も取りませんでした。

 彼は運ばれてきた紅茶が二人の前に並ぶと、「紅茶が冷める。さあ飲みたまえ」と、ただそれだけを言ったのです。これだけ、でした。二人は涙を流して、次の戦いでの命懸けの雪辱を誓いました。

 これこそが、将帥学の極みです。たったひと言で、決められるのです。

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戦いの中で学んだ「将帥学」

 もちろん東郷とて、最初からこれほどまでに肝の据わった人物だったわけではありません。苦労を重ねて、連合艦隊司令長官にふさわしいメンタルを磨いてきたのです。

 東郷は、昔は手の付けられないヤンチャな人物でした。家にいた馬に尻を噛まれ、ブチ切れて、その馬を半殺しにしたほどです。そんな暴れん坊が、戦いを経るごとに将帥学を学んできたのです。

 日本の歴史には、お手本になるリーダーがたくさんいます。いずれも権力を笠にきて威張るような小物ではありません。いつの時代にも通用する人間力を有しています。そのエッセンスは、皆さんの「上司としてのあり方」にもきっと役立つでしょう。

 

■ 加来耕三(かく・こうぞう)
 歴史家・作家。1958年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業後、同大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師をつとめながら、独自の史観にもとづく著作活動を行っている。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著書に『坂本龍馬の正体』『刀の日本史』『1868 明治が始まった年への旅』などのほか、テレビ・ラジオの番組の監修・出演も多数。

加来氏の著書:
日本史に学ぶ一流の気くばり

加来 耕三