ソ連時代と同じメロディの「祖国は我らのために」

期待と失望を繰り返している、北方領土返還交渉。交渉の相手国は言うまでもなく、ロシアです。国歌も、領土交渉と同じように二転三転し、現在はソ連時代と同じ「祖国は我らのために」となっています。

「祖国は我らのために」(通称)
ロシア、我らの神聖な力よ
ロシア、我らの愛しき国よ
強い意志、偉大な栄光
それはいつまでも祖国に存在しています
(コーラス)
讃えよう、我らの自由な祖国
長い間にわたる同胞の結束
祖先より受け継がれた知恵
祖国を讃えよう! 我らは祖国を誇りに思っています

帝政から革命へと激動するなかで、変遷する国歌

セルゲイ・ミハルコフ作詞、アレクサンドル・アレクサンドロフ作曲により作られた「祖国は我らのために」が、最初に国歌になるのは1944年、ソ連時代でした。

ロシア帝国時代には、イギリス国歌・神よ女王陛下を守りたまえと同じメロディの「ロシアの祈り」が国歌として扱われてきました。自前の国歌を作ろうということで1833年、「神よ、ツァーリを守りたまえ」が正式な国歌に変わりました。

革命を経てソ連時代に入ると、「インターナショナル」が事実上の国歌として採用されます。同曲は、フランス発で世界中に広まった革命歌です。日本でも佐々木孝丸により邦訳の歌詞がつけられました。

党歌と国歌を交換して生まれた、原・国歌

ここでも自前の国歌を作ろうということになり、ボルシェビキ党の党歌が国歌になります。当初は、新たに創作する計画でしたが、うまく事が運びませんでした。そこで、党歌を流用することになったようです。

その後、スターリンが認証して国歌になります。現在の国歌と歌詞は全く異なっていますが、曲は同じ。作詞家も現在と同じセルゲイ・ミハルコフです。

ちなみに党歌が国歌に転用されたあとは、「インターナショナル」が党歌になります。言うなれば、国歌と党歌を交換した形です。

このときの国歌変更の陰には、スターリンの一国社会主義政策への転換があったと言われています。他国を侵略しようという意図はなくなったということを知らしめるためということでしょうか。

ソ連とロシアの両方を生かした、プーチン

ソ連崩壊後は「愛国歌」が新たな国歌になりますが、浸透することはなかったようです。歌詞がないことが理由だとされ、やがて旧国歌の復活を望む声へとつながっていったそうです。

この声に応えて、プーチンは旧国歌に戻します。ただし、詩は新しくします。ソ連とロシアの両方の言い分に応えたものだとも言われています。2001年、正式に国歌になり、テレビ・ラジオ放送で1日2回流すことが法律で義務付けられています。

政治的な思惑が見え隠れする国歌ですが、東欧諸国からは「かつてのような併合の意図が潜んでいるのでは」という批判もあるそうです。すべての期待に応えるのは簡単ではないということでしょう。

参考:『国のうた』弓狩 匡純、『世界の国歌』国歌研究会、『世界の国旗/国歌』(ウェブサイト)、『RUSSIA BEYOND』(ウェブサイト)

間宮 書子